うちのおじいちゃんは、『ちびまる子ちゃん』のおじいちゃんのような話し方はしません。どこかにそういうおじいちゃんはいるんでしょうか?
アニメやまんがに出てくるおじいちゃんなどのキャラクターのなかには、いかにもおじいちゃんらしい話し方をする人がいますね。それに比べて、例えば実際のおじいちゃんは、『ちびまる子ちゃん』のおじいちゃんのようには話さないことが多いと思います。ですが、「まる子や、わしはこう思うんじゃ」のような話し方は「おじいちゃん」をイメージさせると思います。
実際にいるそういうタイプの人々がそう話すわけではないのに、キャラクターがそういう話し方をするとなぜか「そういうタイプの人」のイメージを呼び起こす、そういう話し方が日本語にはあります。このことは少し前から「役割語」と呼ばれ、多くの学者の注目を集めてきました。
役割語の歴史は古く、大衆向けのフィクション作品(絵のある小説など)が広く出回るようになった江戸時代後期には、すでに「おじいちゃんらしい」話し方をする人物が登場していました。当時、政治の中心は江戸にあり、経済の中心は大阪から江戸に移りつつありましたが、まだ文化的な価値は京都・大阪(上方)のほうが高いと考えられていました。
こうした中で、歳をとっていて知恵や経験があり、落ち着いた格調高い話し方をする人物のイメージを、上方方言を話す上方出身の人物というキャラクターによって表現しようとしたのが、「おじいちゃんらしい」人物の役割語のはじまりと考えられています。そしておそらくそのころから、「おじいちゃんらしい」話し方をするキャラクターは小説などの中に受け継がれ続け、現在でもそうしたイメージが持ち続けられているのでしょう(もちろんおそらく、話し方やイメージは少しずつ変わってきていると思いますが)。
役割語にはさまざまな種類がありますが、どれもだいたいこのように小説などによってイメージを受け継がれて成り立っていると考えられます。しかし一方で、それぞれの役割語はそれぞれ別個の起源をもっていると考えられています。
例えば、「お嬢様らしい」話し方のイメージはもう少し新しいと考えられています。こちらは江戸時代の遊女の話し方を、明治時代以降の女学生が好んで使ったのがフィクション作品にも定着したものとされています。夏目漱石の『三四郎』では、登場人物が、女学生がしきりに「よくってよ、知らないわ」という話し方をしているという話をしています。当時の女学校は武家や公家の息女をはじめとした良家の娘さんしか通うことができませんでしたので、女学生の話し方がお嬢様のイメージと結びついていったのでしょう。
こうした、キャラクターのイメージを呼び起こす話し方は、時代とともに生み出されたり、あるいはなくなってしまったりすると考えられます。
例えば、極端に抑揚のない話し方を、私たちは「ロボットみたい」だと理解するかもしれませんが、これはもちろんロボットのイメージが社会になかった頃にはなかったものでしょう。
一方、若い人はご存じないかもしれませんが、かつて「ザ・ドリフターズ」というグループが日本のテレビのお笑いにおいて存在感を持っていた頃、彼らのコントにはときおり、「どうもスンズレーしました」というような、南東北〜北関東あたりを想起させるセリフが登場しました。20世紀後半の東京には、東北から東京に出てきて働いている「上京者」、もっと限定すれば「集団就職者」のイメージが社会にあったことに、その根源を求めることができるかもしれないと私は考えています。まだ根拠はありませんので、ご関心の向きはぜひ調べてみてください。
どこかにそういうおじいちゃんがいるのかどうかということについては、どこかにいるかもしれないし、いないかもしれないとしか言えませんが、少なくとも、フィクションの世界にはかなり昔からいたらしいということですね。
このことについてもっと詳しく知りたい方には、以下の書籍をお勧めします。