ことばの波止場

Vol. 10 (2021年9月発行)

コラム : 言語学を学ぶことで得られること(川添愛)

言語学を学ぶことで得られること

「言語学を学んだからといって、言葉がうまく使えるようになるわけではない。物理学を学んだからといって野球がうまくなるわけではないのと同じだ」。これは、私が言語学を専攻していた学生時代、先生方によく聞かされていた言葉だ。

これが言わんとしているのは、研究対象となる物事についてよく知っていることと、それを日常の中でうまく扱えることとは、基本的に別の話だということである。実際、言語学は言葉の上手な使い方を研究する学問ではない。とくに私が専攻していたのは「現代日本語の文法や意味についての理論的研究」であり、普段の生活の中で言葉を操るコツとか、コミュニケーションのノウハウなんかとは直接関係はない。

とはいえ、周囲を見回してみると、知り合いの言語学者の中には言葉を巧みに操られる方が非常に多い。私自身も、そもそも言語学に出会わなかったら、文章を書く仕事などできなかっただろうと思う。いったい、言語学のどういう側面が、自分の「言葉の使い方」にプラスに作用したのだろうか。

構造を見極める力

一つには、「文や句の構造を、ある程度意識的に見極められるようになったこと」があると思う。次の二つの表現を見ていただきたい。

A. 代官山を拠点として活動する。B. 鈴木氏を営業部長として採用する。

これらはどちらも、「~を~として~する」という形をしている。しかし、実は構造が違う。言語学を学んだことがない人に「ABはどう違うか分かる?」と聞いても、ほとんどの場合「分からない」とか「同じじゃないの?」という答えが返ってくる。そういう人には、次のように「~を~として」の語順をひっくり返してみせると「ああ、なるほど」と納得する。

A’. 拠点として代官山を活動する。B’. 営業部長として鈴木氏を採用する。

ご覧のように、Aの「~を~として」の部分を「~として~を」に変えたA’は、日本語として不自然になってしまう。これに対し、B’にはとくに問題がない。なぜこういう違いが出るのかというと、次の図のように、ABでは構造が異なるからである。

AとBの文の構造図

言語学者でなくとも、日本語を理解する人々はみな暗にこういった「構造の違い」を認識しているが、語順を変えるなどといった操作をしない限り、その違いは意識に上ってこない。私自身は、言語学を学んだことで、多少なりともこういった構造を意識に上らせることができるようになったと思う。

曖昧さを分析する力

また別の側面として、「曖昧さとその要因に敏感になったこと」が挙げられると思う。たとえば、「太郎が好きな人が多い場所」という表現は曖昧だが、実際に何通りぐらいの解釈が可能か考えてみていただきたい。

まず、「太郎が好きな」という部分が「人」のみを修飾しているのか、あるいは「人が多い場所」全体を修飾しているのかという曖昧さがある。前者の場合は「太郎が好きな人が、たくさん集まっている場所」という意味になり、後者の場合は「太郎が好む、人の多い場所」という意味になる。さらに前者は「太郎が好きな人」の部分が「太郎のことが好きな人」なのか、「太郎が好いている人」なのかで曖昧になる。つまり、少なくとも次の図のような三つの解釈があることになる。

「太郎が好きな人が多い場所」の図解(3とおり)

ただし、「太郎が好きな人が多い場所」の表現の解釈はこれらにとどまらない。たとえば「太郎が好む、人の多い場所」という解釈には、さらに「人が多い場所のうち、太郎が好む場所」なのか「人が多い場所という、太郎が好むもの」なのかといった曖昧さもある。また、上記のどの解釈にも、句全体が「どこか具体的な場所を指しているのか、そうでないのか」という、また別の次元の曖昧さがある。たとえば、「私は今日、太郎が好きな人が多い場所に行ってきた」と言えば、「太郎が好きな人が多い場所」はどこか具体的な場所を指している。これに対し、「どこでもいいから、太郎が好きな人が多い場所に行ってみたい」などと言えば、件の表現は具体的な場所を指しているのではなく、場所の特徴とか属性のようなものを表していることになる。

別にこの例が特別なわけではなく、私たちが普段使う言葉のほとんどは膨大な曖昧さを孕んでいる。たいていの場合、私たちは文脈や常識を使って曖昧さを排除できるが、たまにそれがうまくいかず、誤解をしたりされたりすることがある。言語学を学んだからといってそういった「事故」を完全に防げるわけではないが、たとえ後からでも曖昧さの原因を分析できるというのは、言葉を適切に使う上で重要だと思うのだ。

言語学は、外部の人から見れば、何をやっているのか理解しにくい分野だ。実際、言語学の外に出てみれば、表面的なところだけを見て「言語学者は誰も言わないような変な文ばかり観察している」とか、「言語学はリアルな実例を見ないから役に立たない」などと誤解している人もいる。あまり学問について「役に立つ」とか「立たない」とか言いたくないが、それでも「理解しにくい」ことを「役に立たない」と同一視されるのは不本意だ。言語学の知見の大切さを広く伝えるにはどうしたらいいか、日々考えを巡らせている。

川添 愛
川添愛
KAWAZOE Ai
かわぞえ あい●作家。
九州大学文学部、同大学院ほかで理論言語学を専攻し博士号を取得。津田塾大学特任准教授、国立情報学研究所特任准教授などを経て、言語学や情報科学などをテーマに著作活動を行う。著書に『ふだん使いの言語学』(新潮社)、『ヒトの言葉 機械の言葉』(角川新書)など。