ことばの疑問

原稿用紙の使い方

2013.07.17 山田貞雄

質問

原稿用紙の書き方に決まりはありますか。特に行頭に句読点や括弧が来た時どうするか、また、題名や名前、本文の書き始めをどのようにあけて書くか、さらに鍵括弧の会話を芝居の台本のように段を下げて、いちいち改行して書き進めていいものか、などと迷います。

回答

大抵の小学校の国語の教科書には、原稿用紙の使い方が載っています。詳しく見ると教科書会社によって多少記述に違いがあるかもしれません。また同じ会社でも、時代によって詳細が異なったり、原稿用紙を手書きで埋めたような見本と、従来のルールとの間で違うものが出ていたりするようなことも起こっています。しかし、それらの根拠となるべき、詳細を一律に定めた規則のようなものは見当たりません。

まず、題名と名前をつづけて1行ずつ使って、3行目から本文を書き始めるのが一番よいのでしょうか。誰か有名な作家の発掘された未発表原稿では、1行あけて2行目に題名、また1行あけて4行目に作家の氏名、さらに1行あけて6行目からやっと本文が始まる、などという立派な印象のものもあります。

このことは、原稿用紙を使う本来の目的を想起させます。かつては、活字印刷のためには、完成した原稿が必ず必要で、その原稿に従って、活字を一々手で拾い植字をして、版を組んだのです。ですから振り仮名は振り仮名として枠があって、明確に振り仮名の活字が入ります。またそのことで、本文は本文の文字だけが、周囲の文字とは混同せずに済みます。また完成時を想像して文字詰めを表現していたのです。つまり原稿を読む人のために原稿用紙に書いたのです。ちなみに完成原稿のための規則正しい作法にもとづいた校正の作業にも重要な意味がありました。

一方、現在は多く、試験問題で「何字以内に述べなさい。」などと文字数の制限を予めして、その範囲内で、長すぎず、短すぎず、適切な長さの文章を書くこと、すなわち用語や表現といった言葉の推敲をする訓練をします。文章全体としても「原稿用紙何枚程度」などと文章や作品の大きさをおよそ決めることで、その規模と話の組み立てや構成の兼ね合いを十分練ったうえで、説得力のある文章を書き馴れるように訓練するでしょう。つまりこれは書く人のために原稿用紙を利用しているのです。

では、いわゆる「ぶら下がり」を許す規則とはなんの意味があるでしょうか。「ぶら下がり」とは、前行末の欄外に記号を「ぶら下がって」書くのを許すことです。行頭の記号を避けることで、それ以下の一行で異常に余白が多くなったり、次の行の始まりが不明確になったりするのを避けています。これは上のことでいえば、文字数には関係しない範囲で、原稿の読みやすさへの工夫を取り入れている、ということになります。

また、書き始めの体裁はさほど立派でなくても、原稿用紙2枚程度などという限られた条件で実質的な言語量の条件を揃えるためには、必要最小限度の行あけが、冒頭のルールとして常識にかなっているといえるでしょう。

さらに、鍵括弧の会話の応酬を、芝居の台本や、会話の多い現代作家の読みもののように活写して見せるのか、それとも内容を言葉の詰まったまとまりとして表現するために、いわゆる「追い込み」に原稿用紙を文字で続けて埋めるべきなのか、の選択は時と場合によって、おのずから決まってくるように思います。

学校においても、普段、文字数や言語量の訓練には「追い込み」を勧めていれば、文字数制限内で回答する箇所で、たまたま引用や会話が含まれても、何も迷うことはないでしょう。また、文集などで本人の筆跡丸ごとを記念に残し、見せて読ませる特別な場合には、複数の話者の会話を改行したり、会話の応酬丸ごとの引用として、文字の書き始めを何行にも渡って1、2字下げたりすることで、より会話らしく表現することができます。見せる場所によっては、意識してこのように書き分けることもできるでしょう。またそれらの違いを明確に区別して、表記を使い分ける、ということ自体を意識することにつながる意味も出てくることでしょう。

書いた人

山田貞雄

YAMADA Sadao
やまだ さだお●伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。