手話って世界共通ですか。
手話を知らない人たちが持つ誤解のなかでもっとも多いのが「手話は世界共通」という思い込みです。わたしが講義で「手話は世界共通ではありません」と教えると、「ヘえ驚いた」「共通じゃないんですか」と答えが返ってきます。以下に誤解を解いておきましょう。
手話の誤解のことをmyth(神話)と呼んだアメリカの手話研究者がいました。わたしも以前、この誤解は手話をジェスチャーやパントマイムのように考えているところから生まれた「神話」と書きました。すなわち、ジェスチャーやパントマイムなら、どこの国でも通じるだろうという誤解です。しかし、考えてみてください。ジェスチャーでも国によって意味するところは違います。たとえば、親指と人さし指で輪を作るジェスチャーはアメリカやヨーロッパ全域では「OK」の意ですが、ベルギー・フランス・チュニジアでは「ゼロ」「無料」の意、トルコ・ギリシャ・マルタでは「穴」の意があります。一方、日本では伝統的に「お金」の意味です(近年は「OK」の意味でも使いますが)。日本の手話<お金>はこのジェスチャーを取り入れて少し振って表します。このことから日本の手話<お金>が「お金」を意味することが分かるのは世界では少数の人たちで(戦前、日本が統治したため韓国や台湾の人たちに通じる)、世界にはあまり通じません。では他の国の手話ではどうするかというと、親指と人差し指の指先をこすって紙幣を数えるしぐさが一般的です。そのほか、「お金」を表す手話は国によっていろいろあります。
手話は地域的、文化的な違いがあって、世界共通ではありません。たとえば、日本の手話<男>(親指を立てる)、<女>(小指を立てる)は日本人なら手話を知らなくても「男」「女」の意味だとわかります。なぜなら伝統的に親指を立てるジェスチャーは「男、旦那」を表し、小指を立てるジェスチャーは「女、愛人」を表してきたからです。しかし、この手話は外国人には通じません。世界の多くの国では、親指を立てるジェスチャーは「良い」「OK」の意味です。また小指を立てるジェスチャーは欧米では見られず、少数派ですが、シンガポールのジェスチャーでは「一番あと」の意、中国・香港のジェスチャーでは「悪い」の意、韓国では「つまらない」の意、タイのジェスチャーでは「友情」の意、インドのジェスチャーでは「トイレに行きたい」意で使われることがあります。
では、各国の手話で「男」「女」をどう表すでしょうか。アメリカの手話ではハット(帽子)のつばで「男」、パキスタンの手話では鼻の下のひげで「男」を表します。台湾の手話では耳にしたイヤリングで「女」、アメリカの手話では帽子のあごひもで「女」を表します。これは何を連想するかの違いで、それぞれの文化の違いが反映しています。
そのほか、日本の伝統的なジェスチャーで「泥棒」は人さし指をかぎ状に曲げて表します。これを日本の手話にも取り入れて「盗む」「泥棒」の意味で使います。しかし、人さし指をかぎ状に曲げる形は中国のジェスチャーでは「9」を意味し、またメキシコのジェスチャーでは「お金」を意味するので通じません。
このように、「お金」「男」「女」「泥棒」などを表す手話の元となるものはジェスチャーを含め、その国の伝統文化の中にあるものです。そのため、国・地域・文化が違えば当然、手話も異なったものになります。言い方を変えれば、手話はその国の文化が色濃く反映しています。以上から、手話は世界共通ではありません。
さらに日本語に方言があり、地域によって違うように、日本の地域によって手話も違います。手話はかつて京都・大阪・東京の聾学校およびその卒業生を中心に全国に広まった経過から、40~50年ほど前まで地域差が大きく通じないこともありました。その後、全日本聾唖連盟が「標準手話普及」のために出版した『わたしたちの手話』全10巻(1969年~86年)以来、全国に通じる手話が普及し始め、米川明彦監修・日本手話研究所編『日本語―手話辞典』(1997年)の出版やNHKの手話ニュース「聴覚障害者の時間」、NHKのテレビ手話講座「みんなの手話」などによってかなり定着しました。
手話は地域によって違うと言っても「~方言」というくくりはそう簡単ではありません。「名前」を意味する手話は関東をはじめ多くの地域では<名前①>(拇印を押すしぐさに由来)ですが、関西では<名前②>(胸のバッジに由来)が使われています。したがって<名前②>は関西方言手話と言えますが、ほかに具体的に辞書として挙げるほどはありません。それよりも先に述べたように京都・大阪・東京を中心に手話がそれぞれ形成されたため、大阪と京都とで手話に違いが多くあり、「大阪の手話」「京都の手話」と言えるものがあります。たとえば、大阪の「水」を意味する手話は片手で水をすくって飲むしぐさに由来し、大阪独特の手話です。京都の手話は全国に見られるのと同じく、水が流れるさまから来ています。日本語の方言が衰退して共通語に移るように手話も共通化が進んでいます。
(注)名前①、②のイラストは、全日本ろうあ連盟および全国手話研修センターの複写承諾を受けています。ただし、この資料の複製は禁止されています。