日本語の辞書はいつの時代からあったのでしょうか。誰がどう使っていたのですか。
本邦辞書の歴史は、古く多彩です。消失して見ることができない辞書として、『新名』〔682(天武11)年〕44巻が最初の辞書として知られています。現存最古の辞書は、空海著『篆隷万象名義』〔830(天長7)年〕30巻に遡ることができます。次いで奈良法隆寺学僧昌住著『新撰字鏡』〔898(昌泰元)年~901(延喜元)年〕、源順著『倭名類聚抄』(『和名抄』とも)〔931(承平元)年~938(天慶元)年〕が知られていますから奈良時代を経て平安時代の初頭にかけての256年間に最初の編纂活動が営まれていることになります。
『新撰字鏡』は、漢字を字形ごとに偏・旁に分類し、漢文注と万葉仮名による和訓を添えています。『倭名類聚抄』は、「刀子[タウス]:賀太奈」〔巻第15〕のような「物名」を蒐集し、意味ごとに分類しています。当然、出典、発音、意味、和訓〔万葉仮名〕を添えた百科辞書型を既に備えています。ことのはじまりを知る上で貴重な資料となりました。10巻本と20巻本の二種類が存在します。
平安時代末期に成立した、法相宗僧侶著『類聚名義抄』〔1081(永保元)年以後〕は、仏部(ほとけのみおしえ)・法部(日本に伝わった法典のおしえ)・僧部(現存する僧のおしえ)とした三宝に分別して漢字画引き、多種の書籍から項目を拾い、当代の知り得べき和訓を掲載するのが特徴となっています。橘忠兼著『色葉字類抄』〔1144(天養元)年~1181(養和元)年〕2巻→ 3巻→増補10巻になると、いろはうたの発音で物名の漢字や漢語を検索する和漢一体型の語内容を取り扱えるものとなっています。鎌倉時代には語源辞書と言える経尊著『名語記』、百科辞書としての印融筆『塵袋』も問答体にした新たな語を取り扱うものとなっています。
室町時代には三大辞書が生まれます。一が中国の『玉篇』に倣い、漢字・漢語の画引き辞書『倭玉篇』は身近で難訓な漢字を列挙しています。二に東麓破衲編『下学集』〔1444(文安元)年〕も、生活語彙に関心を寄せ、茶の湯に寄せる語も見えています。三に最も簡便に多方面に利用された『節用集』〔1469~1487(文明年間)以前〕があり、伊勢本・印度本・乾本などがあります。ただ共通する点として、いろは引きであったことが僧侶・公家・武士・庶民と多くの人々に折にふれて重宝されてきました。この時代、都市型交易による物品取引きが営まれ、それに見合う常備すべき文字文化が花開くうえで、天正十八年本〔堺本〕、饅頭屋本、易林本と言った印刷された本が登場し、同じ内容の書物から同時期に別人が学習できる土壌がここに見られ、言わば近代国語辞典へと展開していく足掛かりが生まれてきています。
なかでも銅活字ではなく木版印刷が育まれ、桜材という最も手彫りに適した樹木も植栽され、『下学集』『節用集』のみでなく、前々代の『倭名類聚抄』も版木にて世に送り出されていくようになりました。こうしたなか、天台宗惠空編『節用大全』〔1680(延宝8)年刊〕、槙島昭武著『書言字考節用集』〔10巻 13冊。1717(享保二)年刊〕が生まれています。武家と商家が中心の言語文化のなかで、統率力を養い支えていくための知的書物を読み解くうえでも、また、遊びとも化した詩歌、俳諧を読むうえでも欠かせないものとなり、三浦庚妥編「便用謡」〔1723(享保8)年〕のような使用例が古辞書の発展型として誕生しています。
最後に、世界に誇れる近代国語辞典の祖ともいう大槻文彦編『言海』( 1889~91年)→『大言海』(1932~35年)がたった一人の力で世に表出しています。一読してみればあなたの知識欲をきっと充たしてくれること間違いなしです。