ことばの疑問

日本語とかかわるクレオールは存在しますか

2018.07.31 真田信治

質問

日本語とかかわるクレオールは存在しますか。

日本語とかかわるクレオールは存在しますか

回答

異なった言語を話す複数の民族が接触・交流する場合、お互いに意思の疎通を図るための操作をするのですが、そこではさまざまな言語事象が発生します。その一つがピジン(pidgin)と呼ばれる混合言語の発生です。16世紀以降、西欧人がアジアやアフリカ、そしてアメリカ大陸を植民地化していく過程において、現地の人々と西欧人の間で、また現地のプランテーションで働かされた労働者たちの間で、さまざまなピジンが誕生しました。

ところで、ピジンを話す人はそのピジンのほかに自分の母語(第一言語)も保有しています。すなわちバイリンガル(二言語併用者)なのです。しかし、生まれたときからそのピジンに接し、ピジンを母語として運用する世代が存在するようになると、それはクレオール(creole)と呼ばれる言語になります。フランス語系クレオール、英語系クレオール、スペイン語系クレオールなど、世界中にはさまざまなクレオールが存在し、各地で今も使われています。それらの多くは欧米系の言語を上層(語彙供給言語)としたクレオールです。日本語とかかわるクレオールの存在については最近までまったく報告がありませんでした。

しかし、近年、台湾東部宜蘭(ぎらん)県の山麓にある、原住民族の人々が住む4つの村で、日本語を上層とするクレオールが確認されました。私たちはこの言語変種を使用地域である宜蘭にちなんで「宜蘭クレオール」と名付け、音韻、語彙、文法などの記述を進めています(参考文献をご参照ください)。

現地では、次のような会話が聞かれます。

「んた(あなたの意)、どこの人間?」

「わし、タンオの人間。」

「おー、トビヨが!」

タンオは、4つの村のうちの東岳村の旧称「東澳(とうおう)」です。ここは飛魚が取れることで有名で、その日本語の呼び名「トビウオ」が変化したトビヨ(中国語による当て字は「多必優」)がそのまま東澳の通称となったのです。東澳駅の前には大きな飛魚のモニュメントが立てられています(写真)。駅前を歩いていた東岳村の若者のTシャツには大きくDOBIYO(トビヨ)の文字が印刷されていました。

東澳駅の前にある大きな飛魚のモニュメント

さて、上の会話は一見日本語のように見えますが、その全体はけっして日本語そのものではありません。それは現地のアタヤル語(タイヤル語とも)と日本語との接触によって生まれ、再編された「新しい言語」なのです。そして、その担い手は年配者のみならず、その子供世代さらには孫世代に及びます。まさにクレオールなのです。なお、注意したいのは、これが台湾各地において日本統治時代に日本語を学んだ高年層によって話されている、いわゆる「台湾日本語」とはレベルの異なるものであるという点です。台湾日本語はあくまで日本語の変種の一つなのですが、この宜蘭クレオールの全体は、日本語母語話者も、また周辺の村々のアタヤル語母語話者も理解できないくらいに独自に発達した一つの「言語」なのです。日本語の変種ではないのです。

私たちの調査結果からその言語構造をジャンルごとに概観しますと、音韻やアクセントは基本的にアタヤル語と同様ですが、基礎語彙はアタヤル語を起源とするもの約35%、日本語を起源とするもの約55%となっています。宜蘭クレオールがアタヤル語を基層とし、日本語を上層とするものであることが分かります。一方、文法においてはその単純化や体系の再編成の仕方など、世界のクレオールに共通する傾向も認められます。これまでのクレオール研究はヨーロッパ諸語が上層となっているものが中心でしたが、日本語を上層とするこの宜蘭クレオールの解明は、クレオール研究の世界に新たな知見をもたらすでしょう。

宜蘭クレオールの発生は、その(もと)をただせば、山地に散在していた互いにことばの異なる原住民族の人々を支配の便宜のために一つの場所に集住させるという、日本による植民地統治時代の集団移住施策に由来するのです。そのためもあって、今まで真正面からそれを論じることが避けられてきた嫌いがあります。しかし、現地の話者たちは、日本語がどんなに多く入っていようとも、自分たちの使っている言語は両親たちから教えてもらった自分たちが守るべき大切な母語である、と主張しています。中国語に圧倒されて今や消滅の危機に瀕しつつあるこの言語を、話者たちと協同して記録・記述することは、この地で生活を営んできた人々の歴史や言語文化の真実の記録として、重要かつ緊急の課題であると考えます。

書いた人

真田信治

SANADA Shinji
さなだ しんじ●大阪大学 名誉教授。
1946年、富山県生まれ。東北大学大学院修了(1970年)。文学博士(大阪大学1990年)。国立国語研究所研究員、大阪大学大学院教授、奈良大学教授(文学部長)などを経て、現職。専門は日本語学・方言学・接触言語学。
今後とも国内外の現地において話者たちの心に寄り添ったデリケートな調査と研究を進めていきたいと思っています。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 真田信治(2009)『越境した日本語』和泉書院
  • 真田信治、簡月真(2012)「宜蘭クレオール」 『国語研プロジェクトレビュー』 3巻1号、pp.38-48
  • 渋谷勝己、簡月真(2013)『旅するニホンゴ』岩波書店