「思う」と「考える」の意味はどういうふうに違うのですか。
「思う」も「考える」も思考に関する動詞ですが、その思考のニュアンスが異なります。大きな違いは、「思う」は「情緒的・一時的な思考」、「考える」は「論理的・継続的な思考」というニュアンスをもっている点です。このこととも関連して、その思考を「自分の意志でコントロールできる度合い」は「思う」より「考える」の方が強くなります。次の文を比べてみましょう。
(1)子どもの将来を思う。
(2)子どもの将来を考える。
「子どもの将来を思う」で思考されるのは希望や不安といった情緒的・感情的な内容であることが多く、「子どもの将来を考える」で思考される内容は、教育や経済状況等、論理的・理性的なものになります(もちろん、考えた結果、希望や不安等の感情をもつことはありえます)。
文を少しかえてみます。「子どもの将来をじっくり考える」は自然なのに対し、「子どもの将来をじっくり思う」という表現は使いにくいですが、これは、「考える」のもつ継続的思考・「思う」のもつ一時的思考というニュアンスのためです。また、「考える」ことは自分の意志でコントロールできるため、「今から子どもの将来を考えよう」のように言うことができます。これと比べると、「思う」は自分ではコントロールしにくい思考行為であり、「今から子どもの将来を思おう」は不自然な表現になります。
さて、「思う」と「考える」の違いがよくあらわれている例をさらにみてみましょう。
不満やうれしい気持ち等の感情には、「考える」ではなく「思う」が使われます。
(3)不満に思う。うれしく思う。
(4)?不満に考える。?うれしく考える。
また、故郷や母への強い気持ち等、情緒的な思考をあらわす際にも「思う」が使われることが多いです。
(5)故郷を思う。 母を思う。
(6)?故郷を考える。 ?母を考える。
ただ、「故郷を考える」がシンポジウムのタイトルであれば、故郷について論理的・理性的に思考するというニュアンスから自然な文になります。また、「故郷のことを考える」のように「のこと」をつけると、故郷自体だけでなく、故郷をとりまく様々な事柄も含めた抽象的なものとして表すことができ、「考える」を使いやすくなります(「~を考える」と「~のことを考える」の違いを別の文でみてみると、「献立を考える」という文では、考える内容が具体的な献立そのものであるのに対し、「献立のことを考える」という文は、献立にまつわるあれこれについて考えをめぐらすという意味になります)。
次の場合、「誰!?」と思考したのは一瞬のことなので、「思う」が使われます。
(7)誰かと思ったらあなたでしたか。
(8)?誰かと考えたらあなたでしたか。
逆に、「あれは誰だったのかとずっと考えていたのですが…」のようにその思考が継続的である場合には「考える」が使われます。
次のように、原因を解明したり対策を練ったりするには論理的な思考が必要であり、「考える」が使われます。
(9)少子高齢化の原因を考える。 少子高齢化対策を考える。
(10)?少子高齢化の原因を思う。?少子高齢化対策を思う。
次の例では、「明日までに」「しばらく」という表現から、継続的な思考であることが明らかです。また、このような文脈で思考されているのは、おそらく諾否の返事や適切な案等、何らかの論理的な内容であるところからも、「考える」を使うのが普通です。
(11)明日までに考えます。しばらく考える時間をください。
(12)?明日までに思います。?しばらく思う時間をください。
次の例は、感情的な思考をあらわす文にも見えますが、思考する行為を禁止するような場合は「思う」ではなく「考える」が使われます。
(13)くよくよ考えるな。バカなことを考えるな。
(14)?くよくよ思うな。?バカなことを思うな。
自分の意志ではコントロールしがたい思考である「思う」は、「思考するな」という意味での禁止の形にはなりにくく、「通用すると思うな。」(≒通用しない)「これですむと思うなよ。」(≒これではすまない)のように、思考する行為というより、思考内容を否定し、その認識をたしなめる際に使われることが多いです。
一方「考える」は、自分の意志で考えはじめたり考えるのをやめたりすることができ、他者がその思考を禁止することもできます。上の例の他にも「考えるな、感じろ」「それ以上考えるな」のように思考する行為を禁止する場合に多く使われます。なお、副詞「くよくよ」には「いつまでも気にかける」という継続的な思考の意味があり、そもそも「くよくよ思う」とは言いません。