お店などで「確認させていただいてもよろしいですか?」なんて言われると目が点になります。日本語が乱れているのでしょうか。
「ポライトネス」という用語があります。“言葉で表される対人配慮”というくらいの意味ですが、「させていただいてもよろしいですか?」という言い方はずいぶんと長たらしくて丁寧です。そこに着目するなら、この質問は「接客場面におけるポライトネス」に関わるものと言えるでしょう。
図1 : 東京メトロ半蔵門線内の看板
人間関係に遠い関係と近い関係があるように、言葉にも遠い言葉と近い言葉があります。たとえば、敬語は遠い言葉、いわゆるタメ語・ため口は近い言葉の典型です。人はそれらを、人間関係に応じて使い分けたり、それらを使って人間関係を変えたり(調節したり)しますし、時に、使い方が相手の気持ちに沿わず不愉快にさせてしまうこともあります。
ポライトネスの観点からすると、コミュニケーション場面では、ちょうどよく感じられるポライトネスもあり、人間関係を動かすポライトネスもあり、はたまた、しくじるとインポライトネス(失礼)になってしまうこともある、という話です。そして、接客場面というのは、お客さんからお金を頂戴することもあって、最も繊細に気をつかう状況の一つと言えるでしょう。
服を買いに行くとします。お店によって、
「いらっしゃいませ、どうぞご自由にご覧くださいませ。」
と言われるだけのこともあれば、商品を見ている間にいつのまにか近づいてきた店員さんから、
「そのパーカー、すごくいいですよね! 私も色違い持ってます!」
などと、いきなり親しげに具体的なコメントをされることもあります。大まかに言って、対象年齢層が高めで価格も高めなほど前者の傾向に、年齢層が低めで価格も抑えめなほど後者の傾向になると言えそうです。敬語をはじめ丁重な言葉遣いの前者は遠い言葉、踏み込みが強くて「ね」で共感に訴えてくる後者は近い言葉を使っていると言えます。遠い言葉は、相手になるべく触れないようにすることで、かしこまった丁重さを表現するのに向いています。反対に、近い言葉は、積極的に相手と触れ合うことで、うちとけた親しさを表現するのに向いています。
コンビニあたりから始まり、いまやあちこちで聞くようになった店員さんのあいさつ言葉に、
「いらっしゃいませ、こんにちは〜」
というのがあります。奇妙なあいさつですが、これも言葉の遠近で説明できます。「いらっしゃいませ」は丁寧なあいさつで、初めてのお客さんにも安全に使うことができます。それに対し、「こんにちは」は本来知っている相手に使うあいさつです。この2つを並べて一度に言うのは、まずは丁重なあいさつで迎えておいて、それで(一応この場での)人間関係ができたと見なし、知っている人への親しいあいさつを重ねるという、“遠近両用”のストラテジーと見ることができます。
敬語を発達させてきた日本語には、遠い言葉が豊富です。ご質問にあった「させていただく」もそうで、本来、目上の相手の許可を得て何かをすることで相手から恩恵を受けることを表す、とても丁寧度の高い言い方です。最近頻繁に聞くようになりましたし、用法としても、
「このたび私たちは入籍させていただきました」
のように、相手は何も関与していないのに使われるものも少なくありません。それがどういうことなのか、この百年ぐらいの日本語で調べてみると、面白いことがわかります。
授受動詞に「クレル」と「モラウ」があって、それぞれ非敬語形と敬語形がありますから、全部で4つの形があります。それを2つのコーパス(注)(大きな言語資料体)で比較検討した調査によると、敬語形の「サセテクダサル」が減った一方、非敬語形では「サセテクレル」が増え、敬語形では「サセテイタダク」が増えていることがわかりました(椎名美智「ベネファクティブ『させていただく』の形式と機能―2つのコーパス調査より―」)。非敬語ではクレル系なのに敬語ではモラウ系へという変化は不思議とも見えます。
それが何を表しているか、こう説明されています。クレル系の主語は聞き手をはじめ他者ですが、モラウ系の主語は典型的に自分です。非敬語形でクレル系、敬語形でモラウ系という現象は、クレル系では主語である他者に触れざるを得ないのに対し、モラウ系では他者に触れずにすむ違いがあることと関係しそうです。その相違を利用した、非敬語ではより近い言葉へ、敬語ではより遠い言葉へ、というのが現在の日本語におけるポライトネス意識と言えるのではないか、と。
では、遠い言葉であれば丁寧でよいとして受け入れられるのでしょうか? そうではないということが、別の調査からも明らかになっています。上の「このたび私たちは入籍させていただきました」という例のような、相手の関与がない用法になるほど人々の違和感が強い、という結果が出ています。椎名美智(「『させていただく』という問題系―『文法化』と『新丁寧語』の誕生」)。また、「よろしいですか?」のような許可求めを含んだ言い方の方が好印象だとの調査結果もあります。滝島雅子(「報告させていただいてもよろしいですか? ―2016年『日本語のゆれに関する調査』から①―」)。
つまり、ただ遠ざかっておけばいいわけではなく、相手との関わり合いも表したい(聞き手からすれば、表してほしい)という意識です。「させていただいてもよろしいですか?」という形は面妖ですが、「…よろしいですか?」という許可求めを加えることで、相手とのつながりを表している形であることがわかります。椎名美智(「ベネファクティブ『させていただく』の形式と機能 ―2つのコーパス調査より―」)。つまり、これまた“遠近両用”の言葉なのですね。
なんとめんどくさい世の中よ!とも言いたくなります。しかし、どうやら日本語は、この種のめんどくささがどうも好きなようなのです。というか、日本人は、と言うべきでしょうが。
(注)1つは現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)(https://clrd.ninjal.ac.jp/bccwj/)、もう1つは『青空文庫』(https://www.aozora.gr.jp/)をコーパス的に使用したものです。