ことばの波止場

Vol. 4 (2018年9月発行)

研究者紹介 : 金水敏

金水 敏

──研究者になったきっかけは?

子どもの頃から本を読むのが好きだったんですが、高校の時に岩波新書で大野晋先生の本を読んで、「こういう世界もあるんだな」と日本語に興味を持ちました。

当時は1年生から興味関心に合わせていろんなゼミを選ぶ、少人数・演習形式の授業もあって、古田東朔(とうさく)先生のゼミで教わりました。そこですごくほめてもらったこともあり、面白いなと思ってその後、国語学に進学しました。

──そこで、今のご研究にもつながる「昔の日本語」に出会ったんですか?

古田先生のゼミでは、近世語のゼミで浮世床といった滑稽文を読んでいました。そもそも大野先生の本も『日本語の起源』ですからね。

卒論は『「は」と「が」』ですが、国語学なので国語史の授業をずっと受けていましたし、ゼミではキリシタン資料も扱いました。そういう意味では大学に入ってずっと国語史とのつながりがあり、僕自身の学問的なルーツは日本語史だと思っています。

修士の時に、山口明穂先生の脚結抄(あゆいしょう)のゼミで、存在動詞「あり」についての抄があって、それを担当して力を入れて発表して敷衍(ふえん)して修論にしました。その後、存在文についての博士論文を書き、『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房)になりました。そういう意味では研究者としての出発点はその存在表現の歴史で、それが博士論文までつながっていきました。

その後、ほとんど業績もないのに神戸大学の教養部に採用していただきました。この教養部がすごく面白いところで、田窪行則先生(現国語研所長)をはじめ、言語学の面白い人がたくさんいて、その人たちに影響されて生成文法や形式意味論を学びました。これらの交流は自分の研究人生にとって非常に大きかったです。

──役割語はどのように生まれたんですか?

子ども時代から漫画やアニメ、特に『鉄腕アトム』が大好きで、お茶の水博士に憧れていました。ですから、博士語というのは結構最初から思いついていたんです。

博士が「そうじゃ」と言うイメージは自分の頭の中にもともとインプットされていましたが、それが普通の言葉遣いではないと気づくのはずっと後のことです。「〜いる」と「〜おる」の使い分けについて歴史的経緯や方言の対立を勉強していた時に、「お茶の水博士が「わしは知っておるぞ」みたいな形で「おる」を使うのはなぜだろう。これは今までの概念では、説明できないな」と思ったわけです。老人や博士になって言葉遣いが変わるなんて、現実社会で普通はないわけですから。

仮に漫画の中で特定の役割を表すのに使われているんだったら、「役割語」と呼んでみてはどうかと。フィクションの中で現実とは違った言葉遣いがあることは、江戸時代から指摘している人はいました。重要なのは「役割語」とラベルを付したことです。

いわゆる女言葉、女性語も、現実にはあまり使いません。でも「そうですわよ」「存じておりますわ」という言い方をすれば誰もがお嬢さまだと感じます。これを解決するには現実を基盤とした言語学とは違うアプローチが必要なのではと思ったんですよね。

その役割語の概念ができ、まとめた本が『ヴァーチャル日本語』(岩波書店)です。定延利之さんも似たようなことを考えていたわけですがアプローチが少し異なっていて。僕の専門はもともと日本語史ですから、歴史的なアプローチなんです。博士語や老人語も、歴史的にどういった形として進んできたかを考えたもので、それこそ大学1年の時に受けた古田先生の浮世床の影響がすごく生きてるんです。だから江戸語に博士語や老人語のルーツがあるんだというのに気づかされたのも、浮世床をやっていたからと言えるわけです。ですから幅広く研究しているように見えて、わりと全部つながっているといえばつながってるんですよね。

──いまご興味を持っている研究を教えてください。

学生さんや留学生の人で役割語に興味を持つ人がすごく多いんです。そういうこともあって、役割語を含めたキャラクターの翻訳を考えています。いまは、村上春樹翻訳調査プロジェクトを行っていて、登場人物のタイプがはっきりしていて、しゃべり方もその役割によってかなり意識して選ばれており、各国語の翻訳も多いため題材として適していると思っています。

もう一つ。存在表現から始まり意味論の勉強も結構して、指示語もやりましたので、形式意味的な枠組みを使いながら、日本語の意味論の包括的な記述研究をしたいなと。頭が動くうちに。アクティブなのは4、5年かなと思うんですけど。

研究者紹介008 : 金水敏「日本語史・現代日本語・役割語 多岐にわたる研究のルーツに迫る」

金水敏
きんすい さとし●客員教授・大阪大学教授。1956年大阪府出身。東京大学助手、神戸大学助教授などを経て、1998年に大阪大学に着任。2003年に発表した「役割語」の概念は日本語研究を超えた話題に。2006年『日本語存在表現の歴史』で新村出賞受賞。日本語文法学会元会長、日本語学会現会長。