ことばの波止場

Vol. 5 (2019年3月発行)

特集 : 「いま何もしなければ」なくなってしまう②

日本各地の地域言語を保存し、言語の多様性を維持する ~日本の消滅危機言語・方言の記録とドキュメンテーションの作成~

多様な言語が話される世界を目指して

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は2009年に“Atlas of the World’sLanguages in Danger”(『世界消滅危機言語地図』)を発表しました。世界で約2,500の言語が消滅の危機にさらされているという発表です。日本で話されている言語のうち8つの言語―北海道のアイヌ語、沖縄県の与那国語、八重山語、宮古語、沖縄語、くにがみ語、鹿児島県の奄美語、東京都の八丈語がその中に含まれています(図1)。

日本の危機言語・方言地図。与那国語・八重山語に重大な危機。宮古語・沖縄語・国頭語・奄美語・八丈語に危険。アイヌ語に極めて深刻。
図1 : 日本の危機言語・方言(ユネスコ2009 をもとに作成)

この背景には、世界中で先住民が迫害されたり差別されたりして、人権が脅かされている、その人権を守ろうという国際連合の決定がありました。1982年に国連に先住民作業部会が作られ、93年には「国際先住民年」が、1995~2004年には「世界の先住民の国際10年」が制定されています。これを受けてユネスコは、2001年に「文化の多様性を尊重する宣言」を採択し、2003年に危機言語部門を立ち上げ、2009年の『世界消滅危機言語地図』の発表となったのです。

日本では

日本では1970年ごろまで「方言を使わないようにしよう」という教育が行われました。沖縄県や鹿児島県には、方言札というものがあって、学校で方言を使うとこれを首から下げさせられることがありました(写真①)。

方言札
写真① : 沖縄の方言札

そこまでしなくても、「方言を使わないように」という教育は各地で行われました。このため、この時期に学校教育を受けた人たちは、方言に対してあまりよい感情を持っていません。最近は多少、「方言は大事だ」という意識へ変わってきているようですが、それでもまだ「方言よりも標準語の方がいい」、「方言は必要ない」と考えている人はたくさんいます。

このような歴史とテレビの普及や人口の都市への集中といった生活の変化が重なって、いまやユネスコの発表にある8つの言語だけでなく、各地の言語・方言が消滅の危機に瀕しています。

地域の言語を守る理由

では、地域の言語を守る理由はどこにあるのでしょうか。これについてよく言われるのは、次のようなことです。

(1)言語は地域の環境や文化・社会の中で、長い年月をかけて作られてきた。テプファー国連環境計画(UNEP)事務局長のことばを借りれば、「伝統、文化の継承を支えてきたことばを失うことは、自然の貴重な教科書を失うことに等しい」(2001年UNEP 閣僚級環境フォーラム、ナイロビでの発言)。

(2)言語はアイデンティティ(自分が自分であること)の象徴である。言語は人々の間に連帯意識をもたらし、コミュニティーのまとまりを強くする。

(3)言語には、コミュニケーションツール(道具)としての役割と知識や思考、感情・感性の基盤としての役割がある。人は言語によって世界を認識し、さまざまな思考を行い、感情や感性を働かせている。その仕組みの多くは、まだ解明されていない。多くの言語や方言がなくなるということは、言語の仕組みを解明する手がかりの多くが失われてしまうことを意味する。

(1)と(2)については、説明の必要はないと思います。ただ、(2)については注意が必要です。なぜなら、(2)は逆にいうと、その言語を使わない人を排除することに繋がるからです。人々を結びつけると同時にそれ以外の人を排除する、諸刃の剣であることを自覚しておく必要があります。

(3)は少し説明が必要かもしれません。言語をコミュニケーションツールとして捉えるならば、じつは言語は1つの方が効率的です。日本における1970年ごろまでの方言禁止教育は、子どもたちが仕事で都会へ出て行ったときに、きちんとコミュニケーションがとれるようにという配慮のもと、方言よりも標準語を優先させた結果です。

一方、知識や思考、感情・感性の基盤としての言語は、多様な方がいい。これについて考えるために、次のような想像をしてみましょう。

1つの言語しかない世界

もし、1つの言語しかない世界になったとしたら、どういうことが起きるでしょう。だれとでもコミュニケーションができて便利です。人々は1つの言語だけを学べばいいので、楽かもしれません。しかし、どこへ行っても同じ言語しか聞こえてこない世界が果たして豊かでしょうか?

人は他人と違うことによって、自分はどうなのだろうと考えます。「蜜柑」のことを奄美や沖縄でクニブと言いますが、「どうしてクニブなのだろう」と考えることにより知的好奇心が刺激され、知識の蓄積へと繋がっていきます。このような世界こそ、豊かな世界ではありませんか?

もちろん、コミュニケーションツールとしての標準語も必要です。言語を2つ覚えるのは負担だと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。現に、沖縄のお年寄りたちは、立派なバイリンガルです。むしろ若い人たちの世代でモノリンガル化が進んでいます。とてももったいない話です。

モバイル型の言語展示

言語の多様性をできるだけ分かりやすい形で知ってもらうために、私たちはモバイル型の言語展示ユニットを作り、展示をしています。モバイル型展示ユニットの基本的な考え方は、次の3つです。(1)どこにでも持って行ける、(2)見るだけでなく、触ったりシールを貼ったりして見学者も展示に参加する、(3)一度作って終わりではなく、常に改良してよりよい展示作品を作る。

最初に作ったのが「方言の世界」です(写真②)。日本の方言の入門編で、方言のバリエーションがいかに豊かであるかを「カタツムリ」や「凧」、「とんぼ」、「霜焼け」などの方言地図を使って説明しています。このユニットでは、「絆創膏」を何と言うか、バンソーコー、サビオ、カットバン、リバテープなどから選んでもらい、シールを貼ることによってみんなで方言地図を作るという参加型パネルを準備しています。

モバイル型言語展示ユニット「方言の世界」
写真② : 方言の世界

次に作ったのが「沖縄のことばと文化」です(写真③)。沖縄のことばというと大変、難しいように思われがちですが、じつは、共通語と首里方言との間にはきれいな発音の対応関係があります。そこでまず、共通語の「ま」「み」「む」「め」「も」が首里方言では「ま」「み」「む」「み」「む」と発音されるというような音対応を示し、そのあとで「(ゆめ)」「(こよみ)」などの単語が首里方言でどう発音されるかを解いてもらい、正解だと実際の首里方言の発音が流れるというような仕組みを作りました。

モバイル型言語展示ユニット「沖縄のことばの文化」
写真③ : 沖縄のことばと文化

3番目に作ったのが「日本海のことばと文化」です(写真④)。島根県松江市での展示に向けて作ったもので、日本海沿岸地域に分布する特徴を集めています。たとえば、松本清張の小説『砂の器』で犯人捜しのキーになっているのがズーズー弁です。主人公の刑事は最初、被害者は東北の人という想定で犯人を捜していましたが、じつは出雲の人だったという結末です。そこで、実際、両者がどれほど似ているのかを試してみるような展示作品を作りました。どうしたかというと、青森の人と出雲の人の「獅子(しし)」「(すす)」「地図(ちず)」「知事(ちじ)」等の発音を録音し、一つずつランダムにどちらかの音声を流します。見学者はそれを聞いて、青森の人の発音か、出雲の人の発音かを当てるというクイズです。出雲の人も結構、間違えていたのが印象的でした。

モバイル型言語展示ユニット「日本海のことばと文化」
写真④ : 日本海のことばと文化

今年(2019年)は国連が運営する「国際先住民族言語年」です。50年後、100年後に地域のことばを残すために、私たちはいろいろな試みをしています。言語復興やモバイル型展示ユニットに関心のある方、面白いと思われた方は、どうぞ「危機言語・方言プロジェクト」までご連絡ください。

(言語変異研究領域・教授/木部暢子)