ことばの波止場

Vol. 8 (2020年9月発行)

研究者紹介 : 麻生玲子

研究者紹介017 麻生 玲子 消滅危機言語の資料をどういう方法ならたくさん集められるか

消滅危機言語の資料をどういう方法ならたくさん集められるか

研究者になったきっかけは?

2つきっかけがあります。まずは学部生の時に風間伸次郎先生の授業で「カンジャマンジャ語」を分析したことです。あ、カンジャマンジャ語なんて言語はこの世に実在しません(笑)。風間先生が課題用に用意した架空の言語です。それまで外国語というのは先生や文法書から学ぶものだと思っていました。ですから、全く知らない言語を自らの力で一から分析して文法を明らかにする学問があるなんて思いもしませんでした。でも、考えてみれば誰かが文法を明らかにしてまとめなければ、文法書なんてこの世に存在しないですよね。カンジャマンジャ語資料にある形式と意味を見比べながら「この形式がこうなると、この意味になるから…」と時間を忘れて分析したのを今でも覚えています。要するにパズルみたいなところがとても面白かったんです。課題という課題でこんな夢中になって取り組んだのは、後にも先にもこれくらいだったと思います(笑)。

2つ目はデイヴィッド・クリスタルの『消滅する言語』(中公新書 2004年)という本と出会ったことです。学部を卒業した後は会社で働いており、昼休みに立ち寄った本屋さんで偶然見つけました。「このままでは、記録が残らないまま多くの言語が地球上から消滅する」と書いてありました。当時、仕事内容や会社に不満があったわけではないのですが、私じゃなくてもできる仕事だったので、物足りなさがありました。なので、風間先生の授業を思い出し「自分にしかできないことかもしれない。私も消滅の危機にある言語の文法書を書かなくちゃ!」と勝手に使命感を感じました。巻末の「関係団体リスト」に日本の大学院が1つだけ書いてあったので、学費と調査費を貯めて入学しました。今思うと、単純すぎて怖いですね。

これまでどのような研究を?

沖縄県にある波照間島の方言の研究をしています。進学先では、オーストラリアの消滅危機言語を研究していた角田太作先生の研究室に入りました。どの言語の文法書を書くか相談したところ「アイヌ・琉球・モンゴル」のどれかにしなさいと言われました。ちなみにモンゴル語は学部時代の専攻言語です。ショックでした。南米のジャングルとか、アフリカの砂漠とか、極寒のシベリアとか、そういう所に行くと思っていましたから(笑)。それに選択肢に日本があったことに驚きました。灯台下暗しです。結局、調査で使用する媒介言語の問題や、治安、旅費、話者の数を考慮し琉球に決め、思い切って琉球列島の最南端に向かいました。期待は良い意味で裏切られました。島ではこれまで聞いたこともなかった音を耳にし、以来、惚れ込んで波照間方言の研究をしています。カンジャマンジャ語は課題用の言語だったので、パズルのようにきれいに分析できたのですが、実際の言語の分析は中々そうもいかないので、とても苦労しています。

今、関心を抱いているのは?

消滅危機言語の資料をどういう方法ならたくさん集められるか、ということに関心があります。今年ようやく波照間方言の文法書を博士論文として提出できました。途中、出産・育児で休学していた期間もありましたが、修士課程から数えると13年もかかってしまいました。一人の研究者が一生のうちに書ける文法書の数には限界があります。でもその間、時間と共に言語は消滅していく一方です。だったら資料だけでも集められないだろうか、と考えています。何しろ状況は切迫していて、日本の消滅危機言語はあと5~10年の間で調査が難しくなりそうです。

今後の研究についてお願いします

2つ大きな柱があります。1つは、地元コミュニティと連携して、持続可能な資料収集方法を開発することです。今年はコロナウイルスの流行によって、研究者が話者の方に直接会って調査することはほぼ不可能となってしまいました。来年以降の見通しも立たない状況では、研究者が直接行かずとも地元コミュニティで資料収集・蓄積できる環境やモチベーション、フォロー体制が本格的に必要となるでしょう。今は話者の方々に、試験的に方言の録音をしてもらっています。録音機の使い方の動画や調査票・イラストなどを用意して、負担なく継続できる方法を模索している最中です。

もう1つは、波照間方言を含む八重山地域の言語が、どのように分かれて今の状態になっているかを研究するものです。興味を持っている同僚に助けてもらいながらチームで取り組んでいます。

説明をする麻生先生

研究者紹介 017 : 麻生玲子「消滅危機言語の資料をどういう方法ならたくさん集められるか」

麻生玲子
ASO Reiko
あそう れいこ●1981年神奈川県出身。OL時代、ふと立ち寄った書店で出会った本をきっかけに大学院に進学し、2020年博士号取得。2017年から現職。2017年日本言語学会論文賞、2019年ドゥナンスンカニ大会(与那国島)作詞の部で最優秀賞を受賞。