ことばの波止場

Vol. 8 (2020年9月発行)

研究者紹介 : 窪薗晴夫

研究者紹介016 窪薗晴夫 日本語の研究と一般言語学との橋渡しに挑む

日本語の研究と一般言語学との橋渡しに挑む

── 研究の道に進んだきっかけは?

大学時代は受験に失敗した反動でクラブ活動とアルバイトに明け暮れる毎日でした。卒業後は鹿児島の田舎に帰って中学校の英語教師になるのだろうと漠然と思っていて、実際4年生になって母校の中学校で教育実習もしましたが、教員試験を受ける段階になって、何かやり残しているのではないかと思うようになりました。

大学の授業は7割くらいしか出席しなかった一方で、言語学の授業で習ったグリムの法則や英語学概論で学んだ大母音推移は面白く、また寺村秀夫先生のユニークな言語学の授業にも魅了されていました。寺村先生が日本語文法の大家だということは後になって知りましたが、「留学生が日本語についてこんな質問をしてきた。僕には答えが分からないけど君たちは分かるか」という問いかけを200人くらいの学部生を相手に毎週のようにされていました。寺村先生の授業を受けて、分からないことに気づく楽しさと、「勉強」と「研究」の違いを教わった気がします。このようなわけで、田舎に帰るのはもう少しやりたいことをしてからでも遅くはないと思い、4年生の夏頃に大学院への進学を決意しました。

── これまでどのような研究を?

私の研究は自分の人生と逆の方向に進んでいます。私生活では鹿児島弁(L1)→標準語(L2)→英語(L3)というように進みましたが、研究の方は英語→日本語(標準語)→鹿児島方言という順に進んできています。

英語から日本語への転換となったのは20代後半のイギリス留学でした。英語音韻史を専攻するつもりでその分野の大家がいらしたエジンバラ大学に留学したのですが、一般言語学や音声学の授業を受ける中で、母語である日本語のことが分かっていないということを痛感したのです。日本語のアクセントやリズムのことを聞かれてもちゃんと答えることができない自分が恥ずかしくなりました。そこから日本語研究に改宗・・しましたが、母語の研究は自分の直感に頼ることができて、足が地に着いた感じがしたものです。

日本に帰ってきてからもしばらくは標準語の研究が中心でしたが、アクセントなど直感が働かない(たとえば「橋」と「端」と「箸」の違いが分からない)自分にもどかしさを感じていました。考えてみれば私にとって標準語はL2で、18歳になってはじめて話した言語です。30代半ば頃から、里心がつくかのように自然に母語である鹿児島方言の研究を始め、そして高校時代の同級生たちが話していた甑島方言の研究へと広がりました。

鹿児島方言の複合アクセント規則(いわゆる複合法則)を学んだときはその規則性に驚きました。自分が何十年間も話してきたことばの中に、グリムの法則のような整然とした法則があったのかと感激したものです。

調査研究をしていると次から次に新しい疑問が出てきます。そのときに言語話者としての直感が働くのはとても愉快で、自分の直感をもとに仮説を立てて、それを方言調査で検証するということをかれこれ四半世紀続けています。

── 今、関心を抱いているのは?

この20年くらいは、モーラ、音節、アクセント、イントネーションをキーワードとして研究をしてきました。言い間違いやオノマトペ、赤ちゃん言葉、語形成などの研究はこの延長線上にあります。私が一番知りたいのは、自分が母語である日本語や鹿児島方言をどのように操っているのか、その仕組みです。その意味で私の言語研究は自分を知るという研究でもあります。

これと関連して、日本語や鹿児島方言が人間の言語の中でどのような言語なのかという問いにも関心があります。少し大げさに言うと、日本語の研究と一般言語学との橋渡しです。一般言語学から見ると日本語の研究にどのような新しい知見が得られるのか、それとは逆に日本語の研究が世界の言語研究にどのように貢献できるのか、このことを念頭において研究をしています。

── 今後の研究についてお願いします

今の一番の課題は日本語の方言研究と一般言語学の関係です。方言のプロソディー研究はとてもレベルが高い一方で、日本語の中で研究が完結している感があり、一般言語学的な視点が一番足りないのではないかと思います。

研究者としてのキャリアを終える前に、一般言語学の視点から鹿児島方言と甑島方言のプロソディー研究をそれぞれ本にまとめる、それが目下の目標です。それともう少し日本の研究者の優れた研究を世界に伝えたい。それがもう一つの目標です。

研究者紹介 016 : 窪薗晴夫「日本語の研究と一般言語学との橋渡しに挑む」

窪薗晴夫
KUBOZONO Haruo
くぼぞの はるお●理論・対照研究領域 教授
1957年鹿児島県生まれ。大阪外国語大学と名古屋大学大学院で英語・英語学を学び、英国エジンバラ大学大学院で言語学・音声学を学ぶ(1988年、PhD)。南山大学外国語学部、大阪外国語大学日本語学科、神戸大学文学部で教鞭を執ったのち、2010年4月より現職。