ことばの波止場

Vol. 13-1 (2023年11月公開)

エッセイ : 現在進行形のアイヌ語(中川裕)

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エッセイ 「現在進行形のアイヌ語」 中川 裕

野田サトルさんの漫画『ゴールデンカムイ』は、2014年から集英社『週刊ヤングジャンプ』誌上で連載が開始され2022年に完結。中身は一言で言えば20世紀初頭の北海道を舞台にした冒険活劇漫画ですが、綿密な時代考証の上で展開する奇想天外なストーリーと、抜群の画力・演出力によって、コミックス全31巻累計で2500万部を超える大ヒット作品になり、アニメ化もされ、実写化も着々と進んでいます。

そしてこの漫画は、魅力的で個性的なアイヌを主要人物として多数登場させ、彼らの文化や歴史を真っ向から物語の中に組み込んだことで、現実のアイヌを取り巻く社会的状況にも影響を及ぼすほどの作品となりました。これまでアイヌという存在にまったく興味のなかった人たちに、関心を持たせるきっかけをつくったのです。

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」書影
アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」

漫画『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修を務めた中川裕氏によるアイヌ文化の入門書
絵:野田サトル/集英社

また2020年には国立アイヌ民族博物館を含む民族共生象徴空間、愛称「ウポポイ*1」が北海道白老しらおい町に開設されました。古くからこのあたりはポロトコタン*2の名前で知られ、アイヌの伝統文化を紹介する北海道観光の中心地の一つでした。その地に新たに国立の施設が建てられたことで、全国からアイヌ文化に関心のある人たちが集まるようになりました。

*1 ウポポイ アイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」の意味
*2 ポロトコタン アイヌ語で「大きな湖の集落」の意味

こうした流れに伴い、アイヌ関連の著作物も画期的に増えています。特に、すでに絶版になっているような書籍が文庫化といった形で再刊されることが多くなり、アイヌ関連の話題がメディアで取り上げられることも日常的になってきました。

ただその中にあって、アイヌ自身のアイヌ語を巡る現在の活動はあまり注目を集めているとは言えません。

はっきり言って、アイヌ語の母語話者と見なせる人はもういません。母語話者を基準にする限り、アイヌ語はすでに「死語」というべき状況にあります。話者のいない言語に現在の活動もなにもないものだ、と思うのは当然でしょう。

しかし、アイヌ語を後世に残していこうという活動は、むしろ盛んになってきています。残すというのは、音声アーカイブをつくったり、辞書を編纂したりすることではありません。それは単に維持・復興のための資源を整備するだけのことであり、言葉を残すというのは、今生きている人がそれを使っていくことです。

そうした活動の一つの例は、ウポポイの運営団体である公益財団法人アイヌ民族文化財団のホームページ(https://www.ff-ainu.or.jp/)にある「アイヌ語動画講座」というコーナーで見ることができます。これは2020年から始まった企画で、出演者はほぼ全員が、アイヌとしてのアイデンティティを持っている人か、ウポポイを含めた関連施設で働いている人。それぞれが好きなテーマで、とにかくアイヌ語を使って何かをするという動画を作成して公開しています。

公益財団法人アイヌ民族文化財団ホームページで「アイヌ語動画講座」公開中!
このほかに紙人形劇、アイヌ語で動物紹介など、さまざまなコーナーがあります。

「アイヌ語自然講座」「アイヌ語料理講座」「ウポポイのアイヌ語サイン紹介」の動画画像
(出典:公益財団法人アイヌ民族文化財団「アイヌ語動画講座」)

実は私はその講座の企画編集委員の一人で、担当しているのは「自然講座」「料理講座」「ウポポイのアイヌ語サイン紹介」の三つです。

「自然講座」は、苫小牧とまこまい市の作田悟さんを講師として、樹木や山菜の見分け方や利用法、あるいは昔の生活などを教えてもらうコーナーです。進行役はウポポイ職員の川上将史さん。

「料理講座」は様似さまに町のアイヌ文化伝承活動の牽引者である熊谷カネさんに、様似地方の伝統料理を教えてもらうというコーナーで、進行役は熊谷さんの兄の孫に当たる工芸家の岡本朋也さん。熊谷さんと岡本さんは親戚同士ですが、この動画で初めてアイヌ文化に関わる活動を一緒に行ったということです。

ウポポイではほとんどの施設や設備にアイヌ語の名前がついていますが、それを紹介するのが「アイヌ語サイン紹介」。解説するのは苫小牧市出身でアイヌ民族博物館学芸員のヤンチャキさん。ウポポイの職員には全員、ポンレ「小さい名」と呼ばれるアイヌ語のあだ名がつけられていて、ヤンチャキは彼女のポンレです。

私は企画編集委員を名乗っていますが、やることはただ「作田さんになんかやってもらおう」とか「熊谷さんに料理をつくってもらおう」というようなことを提案するだけで、あとは全部出演者任せ。それでもちゃんとした動画が出来上がるのは、演者がみんななんとかして自分たちの先祖の言葉や文化をほかの人たちに伝えていこうという、強い熱意があるからです。

このほかにも動画講座には、紙人形劇や寸劇、子供たちとのアイヌ語学習や、ウポポイ職員へのアイヌ語インタビューなどいろいろなコーナーがあって、おおぜいの人がそれぞれのやり方でアイヌ語を使った活動を試みています。

アイヌ語の母語話者はすでにいません。しかし、このようにいろいろな人がアイヌ語を使う活動を日々行っていく限り、アイヌ語は消滅しないでしょう。アイヌ語は現在進行形なのです。

このアイヌ民族文化財団のホームページには、動画講座以外にもさまざまなコーナーがあり、一般にはあまり注目されていませんが、世界で一番アイヌ文化関連のコンテンツが充実したサイトですので、関心のある方は一度ご覧になっていただくとよいと思います。

中川裕

なかがわ・ひろし。1955年生まれ。千葉大学名誉教授。専門はアイヌ語学・アイヌ文学。著書に『アイヌ語千歳方言辞典』(1995、草風館)、『アイヌの物語世界』(1997、平凡社)、『語り合うことばの力』(2010、岩波書店)、『ニューエクスプレス アイヌ語』(2013、白水社)、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(2019、集英社)などがある。