ことばの波止場

Vol. 13-1 (2023年11月公開)

特集「危機」と「ルーツ」② : 日本語と琉球諸語のルーツをひもとく

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日本語と琉球諸語のルーツをひもとく

トマ・ペラール:東アジア言語研究所(フランス国立科学研究センター)研究員、五十嵐陽介:国立国語研究所 教授
日本語はいつごろ、どこから来たのでしょうか?
日本列島に入ってきた言語は、
どのような変遷をたどったのでしょうか?
また、それらはどのようにして分かるのでしょうか?
日本語の歴史を研究しているトマ・ペラールさんと
五十嵐陽介さんに聞きました。

日本語と琉球諸語は同じ起源を持つ

お二人は、なぜ日本語の歴史の研究を始められたのですか。

ペラール:もともと日本の伝統文化に興味があって、人類学や民俗学をやろうと思っていました。途中で、言語の研究の面白さに気付いたのです。そして、日本語がどのように変化してきたのか、今の日本のことばがどのように成立したかについて研究を始めました。すると、日本語の歴史を研究するには琉球諸語のデータが絶対に必要だと分かり、琉球諸語の研究を始めたのです。五十嵐さんと初めて会ったのは、フィールドワークで訪れた宮古島でしたね。五十嵐さんは、まだ日本語の歴史については手を付けていなかったと思います。日本語の歴史の研究に深く入り込むようになったのは、僕の影響があるかもしれませんね。それは大変うれしいことです。

五十嵐:言語の音声に興味があり、学生のときはロシア語、その後は日本語の諸方言の音声の研究をしていました。ある学会で、後に国語研の所長を務める田窪行則先生から「宮古島の池間方言の研究をしているのだが、アクセントがどうにも分からない。君は耳が良さそうだから、一緒に来てくれないか」と声をかけられたのです。それで宮古島を訪れたときに、宿が同じだったトマさんと知り合ったのでしたね。トマさんと琉球諸語の話をしていると、必ず歴史の話が出てきます。そして池間方言のアクセントを理解するのにも歴史を知らないといけないことに気付き、歴史言語学に触れてみたら面白かったのです。

琉球方言ではなく、琉球諸語というのですね。

ペラール:琉球列島で話されていることばは、長い間、日本語の方言と見なされてきました。しかし日本語と通じないほど違うため、現在では日本語とは異なる言語とみなされています。また、琉球列島の中でも島や地域ごとに互いに通じないことばがあることから、まとめて「琉球諸語」と呼んでいます。

日本語の歴史を知るために、なぜ琉球諸語の研究が必要なのでしょうか。

五十嵐:初めて宮古島を訪れたとき、食堂で隣に座ったおばあさん2人が話をしていたのですが、内容をまったく理解できませんでした。しかし、琉球諸語の話者に「これは何と言いますか」と1つずつ聞いていくと、意味と音の両方で日本語の単語と類似するものがたくさんあるのです。例えば、琉球諸語で「パ」「ペ」「ポ」で始まる単語は、日本語では「は」「へ」「ほ」で始まるというように、対応に規則性が見られます。アクセントにも規則的な対応があります。それらは比較言語学の教科書に書いてあるとおりの対応関係で、琉球諸語と日本語は同じ起源を持っている同系の言語であると判断できます。琉球諸語と日本語の共通祖先の言語を「日琉祖語」といいます。

ペラール:同じ系統の言語を比較することで、それらが分かれる以前の共通祖先の言語を推定できます。同系の言語がそれぞれパズルのピースを持っていて、それらを並べて共通祖先の言語の体系を再現していく、というイメージです。これを言語学では「再建」といいます。日本語の歴史を知るには日琉祖語がどういう言語であったかを再建することが不可欠で、それには琉球諸語を研究してパズルのピースを集める必要があるのです。

日本語と琉球祖語の分岐は?

琉球諸語につながる言語と日本語は、いつ分岐したのでしょうか。

ペラール:奈良時代(8世紀)以前ということは、研究者の意見が一致しています。最も古い日本語の文献は奈良時代のものです。文献から、奈良時代にどのような音の区別があったかが分かります。さらに、文献にある言語の状態からそれ以前の言語の状態を理論的に推定する「内的再建」という歴史比較言語学の手法を使い、奈良時代以前には音の区別がもう少し多かったことが推定されています。奈良時代の文献ではすでに失われてしまったがそれ以前には存在していたと考えられる音の区別が、琉球諸語には見られます。ということは、琉球諸語の共通祖先に当たる「琉球祖語」と日本語が分かれたのは、日本語でその音の区別が失われる前、つまり奈良時代以前と考えられるのです。

分岐時期の細かい推定は難しいのでしょうか。

ペラール:琉球諸語と日本語は、稲に関連した単語を共有しています。稲作が伝わる以前に分岐していたらそうならないので、稲作が伝わった弥生時代(紀元前10世紀ごろ〜紀元後3世紀まで)以降と考えるのが自然です。ここからは研究を進めているところで、まだ私の個人的な推測なのですが、弥生時代末期から古墳時代あたり(3〜6世紀ごろ)に分岐したのではないかと考えています。各地にクニと呼ばれる政治的なまとまりが生まれるなど、日本列島の社会が大きく変わった時代です。社会の変動は言語の変動にも影響すると予想されます。

五十嵐:弥生時代末期から古墳時代という分岐年代は、うなずけます。しかし、言語学的な証拠は何も得られていないので、議論が必要でしょう。トマさんは、言語統計学的に分析する方法を開発中だそうですね。それを適用したら言語学に基盤を置いた年代推定ができるのではないかと期待しています。

琉球祖語の話者は、いつ琉球列島へ移住したのでしょうか。

ペラール:9〜11世紀ごろだと考えられています。琉球諸語には日本語から入ってきた多くの漢語が見られます。漢語が日本列島に入ってきて普及したのは、奈良時代以降です。琉球祖語が日本語と分岐したのは奈良時代以前ということと矛盾しているのでは?と思うかもしれません。琉球祖語の話者は九州にしばらく暮らしていて、中国語から漢語を借用した日本語から、その漢語を借用して琉球列島に移住したと考えられます。言語として分岐した後、時間がたってから、その話し手が移動したのです。9〜11世紀ごろというのは、琉球列島でグスク文化が発展し、狩猟採集文化から農耕文化へと変化した時代です。琉球祖語の話者が琉球列島に移住してグスク文化の担い手になり、そこで話されていた言語を置き換えていったと考えられています。

日本語と琉球祖語の流れ:日琉祖語の話者が日本列島に移住し、日本語と琉球祖語が分岐。琉球祖語の話者が琉球列島に移住し、琉球諸語に。

日本語の歴史をめぐる課題

日琉祖語の話者は、いつ日本列島へ来たのでしょうか。

ペラール:弥生時代から日琉祖語の話者が日本列島に移住し、弥生文化の担い手になったと考えられます。考古学、遺伝学の研究から総合的に見て、日琉祖語の話者は東北アジア、中国北部、朝鮮半島あたりから来たと考えられます。古代の朝鮮半島の歴史を記録した文献に日本語と音と意味がとても似た地名が見られることから、日本語と系統関係にあった言語が古代の朝鮮半島で話されていた可能性が高いです。それは大陸倭語わごとも呼ばれますが、その後、別の言語に置き換えられて消滅しています。

日本語の歴史の研究には、どのような課題がありますか。

五十嵐:日本語の系統に関しては、荒唐無稽な説が飛び交う時代が長く続いていました。しかし、現在話されている言語で日本語と同系であることが現時点で確認できる言語は、琉球諸語だけであることが、比較言語学から明らかになっています。しかし最近また日本語の系統について新しい説が出され、議論が沸き起こっています。これは、日琉祖語をしっかりした根拠をもって再建して、日琉祖語とはこういう言語なんだというところまで提示することができていないからだと思うのです。日本語の諸方言、琉球諸語の厳密な比較を通じて、日琉祖語の再建をしっかりやる必要があります。

ペラール:そのためにはデータが命です。特に、本土の諸方言、琉球諸語のデータが不可欠です。それらは消滅の危機にあるので、急がなければなりません。

日本語の歴史を研究する面白さとは? また、今後どのように研究を進めていこうとお考えですか。

五十嵐:多様性ですかね。なので、飽きることがない。私は、比較言語学、音声学、方言、どの分野でも「五十嵐に聞け」と言われるような一番の存在ではありません。しかしだからこそ、いろいろな分野からの話を総合して、1つの話をつくることができるかもしれない、できたらいいな、と思っています。

ペラール:日本語は多様性がありつつ、日本語と琉球諸語の間には比較言語学の教科書どおりの規則性が見られるので、理論的な研究もやりやすい、という面白さがあります。今まで海外と日本国内の研究をきちんと把握し、両方の研究者との間の架け橋となれるように努めてきました。これからも日琉諸語の歴史比較的研究という分野が世界レベルで発展するようにしたいと思います。