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2019.12.04 2019年12月04日 イベント案内

『ハワイ : 日本人移民の150年と憧れの島のなりたち』展 レポート(1)

今、国立歴史民俗博物館で『ハワイ : 日本人移民の150年と憧れの島のなりたち』展が開催中です。もうご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。みなさまの中には、この展示のどこに国語研が関わっているのだろうかと不思議に思う方もいらっしゃることでしょう。そこで今回は、実際に展示を見た経験から、同展の見どころをレポートしてみたいと思います。

ハワイ展の入り口と原山浩介 先生
ハワイ展の入り口で解説をする原山浩介 准教授(国立歴史民俗博物館 歴史研究系)。この展示の代表者です。

タロイモ農家が見せてくれる150年の歴史の重み

『ハワイ : 日本人移民の150年と憧れの島のなりたち』展(以下、ハワイ展)は、タロイモ栽培を生業としている「元年者」の子孫のパネルから始まります。1868年、約150人の移民労働者が日本からハワイに向けて旅立ちました。この一行は「元年者」と呼ばれています。ハワイへの移住者というと現地で成功した人ばかりが注目されがちですが、中には失敗した人もいましたし、「出稼ぎ」を終えて日本に戻った人、そしてこの一族のようにハワイで地道に生活することを選択した人も多くいたそうです。

実際に、私が何気なく「今からハワイ展に行きます。」とSNSに投稿してみたところ、旧友から「ハワイ展ですか? 私の曽祖父母と祖父がハワイ移住者でした。曽祖母はそのままハワイに残ったのでお墓もハワイにあります。」とコメントが来て驚きました。想像した以上にハワイ移民は身近な存在だったようです。

パネルの一家が栽培したタロイモは、日本ではなくハワイの食文化です。この一家はすっかり現地にとけこみ、もはや「日本人の末裔だよ」と言われないかぎりそうとは気づかれないかもしれません。「150年の歴史の重みとはそういうことだ」と原山先生がおっしゃったことばは、展示を見終わった後で、私の胸にストンと落ちていきました。

ハワイ、日本、移民をめぐる歴史

さて、展示の話に戻りましょう。展示室に足を踏み入れるとハワイの歴史が始まります。ハワイ王国やイギリスとの関係、江戸時代にハワイに立ち寄ったジョン万次郎などが丁寧に紹介された後、サトウキビ・プランテーションの低賃金労働者として集団で移住して行った日本人移住者「元年者」が登場します。サトウキビ・プランテーションで働くアジア人労働者はもともと苦力(クーリー)と呼ばれる中国人が主力でしたが、日本とハワイの間に正式な国交が樹立すると、日本人へと主力が変わっていきました。「官約移民」の始まりです。

展示室内
天井から吊るされているパネルは、最初の移住者「元年者」佐藤徳次郎とその子孫たち 150年の歴史が見てとれます

写真花嫁のライフヒストリー

歴史は、国や民族といった大きなものだけではありません。ハワイ展では研究者の丹念な調査により、ひとりひとりのライフヒストリーも紹介されています。そのひとつが「写真花嫁」です。20世紀初頭には、ハワイのサトウキビプランテーションで働く日本人男性の元に、お見合い写真の交換のみで嫁いで行った女性たちがいました。国語研の朝日祥之 准教授(言語変異研究領域)によると、当時は縁談をまとめる仲介者がおり、結婚の合意に達した男女はハワイと日本に住んだまま、まず日本で入籍します。それから男性が花嫁をハワイに呼び寄せる形で進められたそうです。男性の中には自分の若かりし頃の写真を送ってしまった者もいたそうで、ハワイに着いた花嫁はどんなにか驚いたことでしょう。

サトウキビ・プランテーションでの暮らしぶり

先ほど、ハワイに着いた日本人は主にサトウキビ・プランテーションでの仕事に従事したと紹介しましたが、彼らは3年契約のいわば出稼ぎ労働者でした。日系人のMomoko Maniscalcoさんが当時の暮らしぶりを解説してくださいました。

ハワイ展 プランテーションでの労働と暮らし
サトウキビ・プランテーション労働者の代表的な服装

上の写真で男性が着ているのは、日本の着物を改造して作ったPalakと呼ばれる開襟シャツです。女性はサソリ除けのためにスカートの下にモンペをはき、鋭いサトウキビの葉でけがをしないように布で頬をガードして、エプロンを付けています。女性はサトウキビを刈り、男性は刈ったサトウキビ30本を1束にして運んだのですが、30本を刈るごとに女性はエプロンに葉を差していきました。監督官に仕事を怠けていると疑われた時に、それをさっと見せるためです。

中でもとりわけ目を引いたのはデニム製の靴。当時の日本人は下駄履きで出国したため、靴を持っていませんでした。そこで、監督官から不要になったジーンズを譲り受け、足袋に近いブーツを作ったそうです。慣れない環境も創意工夫で乗り切っていたことがうかがえます。

さて、プランテーションでの仕事は1日10時間、月曜日から土曜日まで、足を折っても熱があっても、赤ちゃんを産んだ翌日ですら働かなくてはならない過酷なものでした。そのうえ賃金から家賃を引くと、手元に残るお金はごくわずか。当時の日本人労働者は300円の借金をしてハワイに渡っていた上に、29%以上の高利が付きました。こどもも加わり家族総出で働いても、借金返済までには約3年を要したそうです。

プランテーションでの労働を終えてから日本に戻る人もいましたし、ハワイにとどまった人もいました。ハワイに残った人は様々な生業につきました。例えばお豆腐屋さんは、一攫千金を狙える商売のひとつでした。肉を食べ慣れていなかった日本人にとって、豆腐は貴重なたんぱく質でした。中国・朝鮮出身の人の需要もありました。この後、豆腐、みそ、しょうゆといった大豆製品がハワイ全土に普及していきます。

ホレホレ節と「ピジン」

ホレホレ節は、日本人移民がサトウキビプランテーションでの仕事中に歌った労働歌です。当時のハワイでは、英語とハワイ語、移民たちが持ち込んだ言語が接触混合するかたちで「ピジン」と呼ばれる混交言語ができあがりました。この「ホレホレ節」の歌詞にもその特徴が見てとれます。パネルの歌詞のほかにも様々なバージョンがあり、展示コーナーには今も歌い継がれている「ホレホレ節」が流れています。

ホレホレ節パネル
「ホレホレ節」の歌詞パネル。
ハワイの言語、英語由来のことば、日本語方言が色で示されています。

カウカウ袋、ランチボックス、弁当箱

下の写真にある青い袋はカウカウ袋と呼ばれています。カウカウとは食事を意味する「ピジン」です。その右隣りはランチボックス、さらに隣りは日本式の弁当箱です。ベントー(Bento)は、今日でもランチボックスを意味することばとしてハワイに根付いているそうです。

プランテーション労働者の持ち物、着物、ランチボックス、楽器、ほうきなど
プランテーション労働者の持ち物

次回の記事は、『ハワイ : 日本人移民の150年と憧れの島のなりたち』展 レポート第2弾。この展示企画の中心となった 国立歴史民俗博物館 原山浩介 准教授のインタビューです。

(レポート作成:国立国語研究所 広報室 青山)

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構

国立歴史民俗博物館と国立国語研究所は、人間文化にかかわる大学共同利用機関である大学共同利用機関法人 人間文化研究機構の構成機関です。機構は2機関のほかに国際日本文化研究センター、総合地球環境学研究所、国立民族学博物館、国文学研究資料館を加えた6つの機関で構成されています。

機構には、博物館機能や展示施設を有した機関が参画しており、その特徴ある機能を利用して、機関間で連携して研究情報および研究成果を展示したり、さらには刊行物やあらゆる情報機能を活用したりして、広く国内外に発信し、学術文化の進展に寄与しています

『ハワイ : 日本人移民の150年と憧れの島のなりたち』開催概要

期間 2019年10月29日(火)~12月26日(木)
場所 国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
〒285-8502 千葉県佐倉市城内町 117(交通アクセス
料金 一般 : 1000(800)円/大学生 : 500(400)円
小・中学生、高校生 : 無料/( )内は20名以上の団体
※総合展示もあわせてご覧になれます。
※高校生及び大学生の方は、学生証等を提示してください。
(専門学校生など高校生及び大学生に相当する生徒、学生も同様です)
※障がい者手帳等保持者は手帳提示により、介護者と共に入館が無料です。
※博物館の半券の提示で、当日に限りくらしの植物苑にご入場できます。また、植物苑の半券の提示で、当日に限り博物館の入館料が割引になります。
開館時間 9時30分~16時30分(入館は16時00分まで)
※開館日・開館時間を変更する場合があります。
休館日 月曜日(休日の場合は翌日が休館日となります)
主催 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館、国立国語研究所
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館
協力 ハワイ大学マノア校図書館、Hawaii Times Photo Archives Foundation、ハワイプランテーションビレッジ、ビショップミュージアム、スタンフォード大学フーヴァー研究所 ライブラリ&アーカイブス ジャパニーズ・ディアスポラ・コレクション、JICA横浜 海外移住資料館、天理大学附属天理参考館、東京大学史料編纂所、日本ハワイ移民資料館(山口県周防大島町)
後援 ハワイ州観光局
協賛 UCC上島珈琲株式会社
お問い合わせ 展示の詳細につきましては下記のサイトをご覧ください。