第5号(2000年10月1日発行)
6月に皇太后様がお亡くなりになった時、新聞各社の見出しには「ご逝去」という単語が使われていました。しかし、国語辞典には「逝去」とは「『死ぬ』の敬語」と説明されています。ということは、敬語に「ご(御)」をつけた「ご逝去」という単語は二重敬語ということになるのでしょうか。
ご指摘のとおり、「ご逝去」は二重敬語ですので、本来はあやまりということになります。しかし、各新聞社が「逝去」に「ご」をつけたというのも、理由がないわけではありません。
もともと「逝去」という単語は昔の中国で作られた「漢語」です。中国語では日本語のように敬語が多く使われませんので、「逝去」という単語だけでも、高い敬意を表していました。このことは、公文書を漢文で書いていた昔の日本でも同じことでした。
しかし、漢文は日本で使われているうちに日本化して、「変体漢文」として発達しました。変体漢文では日本語特有の敬語表現が多用されますが、そのようななかで「逝去」という単語だけを使っていたのでは、なにか敬意がたりないように感じてきたのです。特に、社会的な地位がとても高い人が亡くなった時に「逝去」だけを使うのは失礼だという意識が生まれて、「御逝去」という単語が使われるようになりました。室町時代に書かれた『太平記』には「将軍御逝去の事」という用例が見られますので、500年以上も前から日本人に支持されつづけてきた、伝統的な表現だということがわかります。
二重敬語には、そのほか「ご芳名」「ご令息」などもありますが、やはり同じ判断が働いて「ご」が付けられたのです。
ことばというものは、ある特定の言語社会で意思伝達するために使われるわけですが、社会の変化にともなって、意思伝達になんらかの支障が生まれるようになると、人間はことばを変化させることによって、支障を取り除いてきたのです。そのため、本来はまちがいとされてきた表現でも、そのまま新しい表現として定着することも珍しくありません。
とすれば、「ご逝去」という単語が意思伝達するうえで一番ふさわしいと考えた新聞各社の判断はそれはそれで尊重されるべきだと思います。
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。