ことばの疑問

「とても」は文章に使うには、くだけた言葉ですか

2018.06.01 高崎みどり

質問

「とても」は文章に使うには、くだけた言葉ですか。

回答

「とても」は長く日本語の中で使われてきた言葉ですので、用法の広がりもいろいろあり簡単にはイエスともノーとも言えません。ことばというものは、長く、そしていろいろな場面で頻度高く使われると、用法がひろがったり、意味が変わったりしてくるのです。ちなみに日本語の高頻度語5,000語を頻度順に並べた“A Frequency Dictionary of Japanese”によると、「とても」は「とっても」と合わせて142番目に位置しており、かなりの高頻度語といえるでしょう。

ここでは、「とても」の用法を大きく【状態・程度を強調する用法】と【打消しの表現を伴って、どうしてもある結果になってしまうことを表す用法】の二つに分け、それぞれで使われ方を検討することにします。

状態・程度を強調する用法

状態や程度を強調する言葉には【めちゃめちゃ すごく 超】などのふだんの話しことば的なものから、【非常に 大変 きわめて ごく】のような少しあらたまったもの、そして【大いに 大層 (はなは)だ すこぶる】のような古めかしい感じのものまで、たくさんあり、いろいろな時と場合で選べそうですね。確かにその中でみると「とても」は「すごく」に近いような“くだけた”部類に入ります。そして、文章よりは会話の中で使われやすいですね。「とっても」というさらにくだけた形もよく耳にします。

文章の中、とりわけ説明文や報道文の中で、例えば「待機児童増加は都市近郊においても、とても深刻な問題になっている。」と使うと、硬い漢語が連続する中では、やや違和感があります。「とても」には、実感がこもっていて、主観的な響きもあるので、こうした客観的であろうとする文章にはあまりふさわしくないですね。「とても」のかわりに「大変」とか「きわめて」の方が自然でしょう。
でも文章、つまり書きことばにもいろいろあって、たとえば、随筆やエッセイのような、一人称で綴る文章には

「風もないのに、葉が散っている、なんて、とても哲学的な風景だと思う。」(榊莫山「歌の話」『文藝春秋』1999年12月号)

のように違和感なく使われます。また、お礼の手紙・メールで「先日はおかげさまで非常に楽しくすごすことができました。」とすると、何だか大げさな感じがしますが、「先日はおかげさまでとても楽しく過ごすことができました。」とすると、実感のこもった温かみのある言い方になると思いませんか? 手紙やメールは相手がはっきりしていて、会話のシチュエーションと似ていますから、使ってもおかしくない場合もあるでしょう。

また、最近、書きことばでは、以前よりは堅苦しさが減って、今まで使われていなかったような話しことば的な語もどんどん使われるようになっています。次の例は学術入門書からですが、専門用語にまじって「とても」が自然に使われています。

「潮間帯では岩表面の場所をめぐる競争がとても厳しく、ヒトデは競争力の高いムラサキイガイやフジツボを多く捕食することにより、それらの種が岩場を独占するのを妨げていたのである。」 (石川統編 『生物学入門』東京化学同人 2013年)

打消しの表現を伴って、どうしてもある結果になってしまうことを表す用法

一方、「とても」には、

「しかし、美知子夫人は、当時としては特別な知性の持主で、とてもたんに『妻』として括れるような存在ではなかった。」(長部日出雄「太宰治の『妻』」『文藝春秋』2002年6月号)

のように、どうやってもあることが実現しない、あるいは否定的・消極的結果になってしまう、という用法があります(『日本国語大辞典 第二版』小学館)。打消し表現や、マイナスの意味を持つ語と呼応することが多いのです。この用法でしたら、【どうせ しょせん どっちみち】のようなややくだけた言い方、そしてそれほどくだけてはいませんが、話しことばでも使う【到底 結局】が似た言い方であります。これらの中でも「とても」は、真ん中くらいで、ややくだけた言い方となるでしょうか。どちらにしてもこの用法は、どうやってもその結果にしかならないのだ、という状況に伴うなにがしかの感情をも表していることが多いようです。他にも、

「関税のルールをわきまえない国との貿易などリスクがありすぎてとてもできません。」(井上寿一 『日本外交史講義』岩波書店 2014年)

のような例がありますが、論説などで主張を打ち出すため、適度な主観性をもった語が必要な場合もあるのです。

まとめと課題

《「とても」は文章に使うには、くだけた言葉ですか?》
というご質問でしたが、たしかにどちらかといえば、くだけた言葉です。しかしこれまで述べてきたように、客観的な事実に即すような文章では使いにくいが、文章によって親しみや主観性を込めたい場合には使われることもある、というのがその答えです。文章に使えるか使えないかは、くだけているかいないか、という尺度だけでは測れないこともわかりますね。

書いた人

髙﨑みどり

高崎みどり

TAKASAKI Midori
たかさき みどり●お茶の水女子大学名誉教授。文教大学教育学部特任教授。
名古屋市出身。具体的な文章や談話を材料に、日本語の文法や語彙の様相を捉える研究をしています。国語辞典(『現代新国語辞典』第4版 三省堂)の編集委員をして、文脈から離れた言葉の意味・用法を簡潔に説明する難しさを経験しました。趣味は料理・菓子作り。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 中村明(2010)『語感の辞典』岩波書店
  • Yukio Tono, Makoto Yamazaki, and Kikuo Maekawa (2013) A Frequency Dictionary of Japanese.  Routledge