中学や高校の国語の時間に習い、受験のために覚えた文法は絶対的に正しいものなのですか。
細かい決まりをたくさん暗記させられる割に、自分にとってどう役立つのかはっきりしない。中学・高校の国語の時間に文法で苦しめられた経験のある方は、「学校文法は絶対的に正しいものなのか」という疑問をお持ちかもしれません。
まず、事実の確認をしたいと思います。現在の学校文法の直接の源となっているのは、戦前に編纂された文部省編『中等文法』(1943~44(昭和18~19)年)に例文の差し替え等の改訂を加え刊行した『中等文法 口語』『同 文語』(1947(昭和22)年)であるということです。現在の文法事項に関する記述には教科書ごとに一定の幅がありますが、品詞分類、活用の記述、文節を用いた文の観察などの方法は、すべてこの『中等文法』が手本となっているわけです。一方これを裏返して言うと、戦前の文法研究においては、現在とは異なる説明も存在したということになります。
たとえば、近代的な文法教育がスタートした明治時代に、事実上の学校文法として利用された大槻文彦「語法指南」(1889(明治22)年)では、形容動詞・連体詞という品詞や、未然形・連用形といった活用形の名称はまだ用いられておらず、文節を用いた文の分析も存在しません。学校文法に関する常識は、戦後と戦前の中学生では異なるということになります。
もちろん、教育の場で用いられる学校文法は、時代ごとに少しずつ改良を加えられながらも、一定の枠の中に収まってきたとも言えるかもしれません。ただ、ここで確認したいのは、日本語や外国語の「文法」そのものと、それを記述・説明した「文法書(文法論)」とは、似て非なるものだということです。或る言語の「文法」そのものは、確かに存在します。しかし、それを客観的に説明する「文法書」には、その編纂目的や対象、文法をどう捉えるかといった言語観などによって、様々な流儀があるのです。
これを確認するには、だれが最初に日本語の文法書を作ったのかを考えてみることが、ヒントになるでしょう。実は、今日から見て最初の日本語文法書と呼んでよい書物は、日本人ではなく、ポルトガル人のカトリック宣教師ロドリゲスによって書かれた『日本大文典(Arte da Lingoa de Iapam)』(1604~8年)と呼ばれる本だということです。日本語を学ばなければ、宣教師はキリスト教の布教を行えません。その用途に合わせて、ロドリゲスは、ラテン語の文法書を下敷きにして、たとえば日本語の動詞の活用を「直説法現在・完全過去」などというように記述しています。
一方、日本人が文法書と呼べる書物をまとめたのは、国学者の富士谷成章 が著した『あゆひ抄』(安永4(1778)年刊)あたりからでしょうか。これは、古典語の助詞・助動詞の用法を説明したもので、日本の古典を正確に読み解き、また自分で和歌を詠むには、江戸時代の人々も現代の私たちと同様に、まず古典日本語の文法を学ばなければならなかったわけです。ただし、その記述には現代と異なるところもあり、学校文法で過去の助動詞とされる「けり」に「物ヂヤ・事ヂヤ・タモノヂヤ・タコトヂヤ」という口語訳を与え、単純な過去の表現という扱いはしていません。そしてこの「けり」の働きについては、現在でも研究者間で議論があります。
つまり、目的や対象により異なる文法書が生まれ、私たちが戦後学んできた学校文法も、国語教育という目的から編纂された文法書の1つに過ぎないのです。これは、学校文法を否定するのではありません。学校文法の記述の枠組みは、教育の現場はもとより、研究者の世界においてもいわば共通語として広く用いられ、一定の役割を果たしています。中学・高校で教わった学校文法は、「絶対的に正しい」唯一の文法論ではありません。しかし、それを用いることによって 、私たちは古典文学の作品を読み、日本の言語文化をたどることができるのです。
そして、学校文法が「正しいものなのか」を問うことは、文法を自分の頭で考えるきっかけにもなります。日本語を母語とする人間は、日常会話の中で文法を意識する必要はほとんどありません。話し言葉の文法に気づくことは、実は古典語や外国語の場合以上に難しい作業なのです。しかし、私たちをとりまく日本文化を考えるには、日本語の理解がどうしても必要です。「絶対的に正しい」正解を求めるのではなく、自分を知る作業の出発点として、私たちは上手に学校文法とつきあっていくべきなのではないでしょうか。