ことばの波止場

Vol. 1 (創刊号 2017年3月発行)

コラム : アクセント辞典のひみつ(塩田雄大)

アクセント辞典のひみつ。塩田雄大。え:うちべけい

「熱くなったときも」

舟尾亜夢なにこのCMー。「熱くなったときも」って字幕出したときには最初の「ア」を高く言ってんのにさー、そのあとの「暑くなったときも」だと「ア」を低くして「ツ」からは高く発音してる。これだと「厚くなった」っていうことになるんじゃないの?

アク魔博士そりゃ某コ―ラ飲料のCMじゃな。わしも最近、気になっとるんじゃ。

舟尾亜夢おじさん、だれ?

アク魔博士わしはのう、アクセントを研究しておる「アク魔博士」じゃ。

マスコミのことばとアクセント

舟尾亜夢アクセントなんか研究して、誰が得すんの。そんなのは趣味でやるもんじゃないの。

アク魔博士そういうのを「アク趣味」と言うんじゃが、まあ聞きなさい。アクセントというのはもともとどれが正しいとか、どれが間違っているといったことはないんじゃ。しかし、テレビのように多くの人が視聴するような場合には、こういうアクセントやこういう発音はちょっと…、と感じられてしまうものがよくある。今のCMじゃと「熱い」と「暑い」のアクセントを言い分けておったが、そんな区別はあまり一般的ではないな。 CMの内容よりもアクセントのほうが気になってしまう。情報伝達に悪い影響を及ぼしてしまっているわけじゃ。こういうのを「アク影響」と言う。

舟尾亜夢ズコ―ツ!
舟尾のイラスト

放送用語は「蒸留水」

アク魔博士わしらの仕事はのう、「放送で聞いたときに引っかからない“蒸留水”のようなことばのスタイル」を提案することなんじゃ。知っておるか?“蒸留水”というのは、そのまま飲んでも決してうまいものではない。しかし、安全なんじゃ。だけど“ミネラルウォ―タ―”は、味はうまいが、これで粉ミルクを作るのはあまりよくない。それぞれの役割がある。ことばも同じことじゃ。

舟尾亜夢なんだか前置きが長いね。

アク魔博士情報伝達で一番大事なのは、「内容が正確に伝わること」。そのために必要なのがことばの“蒸留水”なんじゃ。
時代とともにことばは変わる。そして、その規範意識も変わる。時代に合わせたチューニングが必要じゃ。そこで、これまでのアクセント辞典をもとに、8年かけてできあがったのが、この『NHK日本語発音アクセント新辞典』。

舟尾亜夢ずいぶん長い名前だね。アクセントの本だから、「アク書」って呼んだらどう?

アク魔博士それも名案じゃが、わしは「Shin Ji-Ten」だから『SJT』と呼んでおる。わしだけだがな。

「正しいアクセント」は、ある?

舟尾亜夢その「USJ」っていうのを見ると、正しいアクセントがわかるってわけね。

アク魔博士違う、『SJT』じゃ。あとな、「正しいアクセント」を載せているわけではない。「アクセントはいろいろあるが、少なくともここに記したものであれば、アクセントが気になって全体の内容が頭に入ってこないという人は、まずいない」という「おすすめのアクセント」を示してあるんじゃ。断っておくが、ここに載っていないアクセントは「日本語として間違っている」などというつもりは、毛頭ないぞ。

「熱い・暑い・厚い」のアクセント

舟尾亜夢じゃあ、「熱い・暑い・厚い」のアクセントはどうなってんの。

アク魔博士ほれ、見てみなさい。「」は音の「下がり目」、「」は「下がり目なし」を表しておる。「熱い」と「暑い」はまったく同じアクセントで、「アツイ」のように「ツ」の後ろで音が下がる。それが活用して「熱く・暑く」となると、下がり目が一つ前に移動して、「アツク」のように「ア」の後ろで音が下がるんじゃ。それに対して、「厚い」「厚く」は音が急に下がるところがない。「アツイ」「アツク」じゃ。
つまり、こうなる。

アクセント辞典「あつい」のページ
「熱く(暑く)なったときも」
ツク・ナツタ・卜キモ「厚くなったときも」
アツクナツタ・卜キモ『NHK日本語発音アクセント新辞典』p.25

地名のアクセント

舟尾亜夢なっとく一。あ、「厚い」のページをめくると、「厚別 アツベツ」つていう北海道の地名が載ってるね。「地元放送局では「アツベツ」も使う」つて書いてあるけど、これどういう意味?

アク魔博士これはのう、全国の放送局では「アツベツ」と言うことが多いが、地元北海道の放送局では「アツベツ」で放送しているということなんじゃ。これは「地元の方言」ではないぞ。要注意じゃ。

どうやって決める?

舟尾亜夢そういう、いろんな放送局のこととか、変化するアクセントのこととかって、どうやって決めてんの。
ノリで決めたりとか?

アク魔博士ことばの基準を、少人数で名人芸的に決める時代は、もう過ぎたんじゃ。今回何百人ものアナウンサーに尋ねて、結果をもとに徹底的に議論した。この熟議を通して選び抜かれた蒸留水”を示したのじゃ。
ことばは、個人によっても違うし、地域によっても、年代によっても違う。みんな違ってみんないい。しかしな、いろんな人が“公的な広場”、たとえば放送などな、ここで話をするときには、情報の内容以外のことで気になったり、引っかかったりするような要素は、できるだけ少ないほうがよいのじゃ。というか、少ないほうがよいと考える人には、この『SJT』を参考にしてもらいたい。

説明するアク魔博士

新しいことばもたくさん

舟尾亜夢新しく載せたことばもあるんでしょ。

アク魔博士これまで載っていなかった新語や地名、四字漢語などを4千4百語ぐらい追加して本編部分だけで約7万5千語になったんじゃ。それ以外に、巻末には「ブドーパン、メロンパン」「アンパン」という複合名詞を後部要素「~パン」でまとめた資料や、「月:ニガツ、サンガツ」「億:ニオク、サンオク」などのような数詞と助数詞のページもあるぞ。

舟尾亜夢だけどこの辞典、1kgぐらいあって重たいね。

アク魔博士そうじゃ。毎日引くと筋肉がつくぞ。健康にもいい辞典じゃ。

舟尾亜夢ぎゃふん。

塩田雄大近影
NHK 放送文化研究所 主任研究員
塩田雄大
しおだ たけひろ●NHK大阪放送局勤務を経て、1997年から現職。放送で用いる日本語の方針立案・策定に関連する言語調査・研究を担当、『NHK日本語発音アクセント辞典』改訂(1998年版・2016 年版)に従事。著書に『現代日本語史における放送用語の形成の研究』(三省堂2014年)。
カット : しおだきよら