Vol. 3 (2018年3月発行)
子供のころ、家に電話がかかってくると、たいてい母が出ました。少し話し出すと、その口調から、どのような関係の人が電話をかけてきたか、予想がついたものです。母の場合、自分の妹とはかなりくだけた言葉づかいで声もはずんだ感じになりますが、姉だと親しさの中に丁寧な言葉が混じります。父方の親戚だとかなり丁寧になります。このように私たちは、話す相手によって、言葉づかいを使い分けることがあります。こうした使い分けは、会話の相手だけでなく、場面や話題なども関係してきます。
例えば、自分自身を呼ぶ際に用いる自称詞。男性の場合は「俺」「僕」「私」などがよく使われますが、同じ人がいつも同じ自称詞を用いているわけではありません。
ある30代男性の事例を見てみましょう。ご自身に様々な場面での会話を収録してもらい、それを調べてみると、妻や仕事の後輩には「俺」を、妻の母や妻の友人には「僕」を、仕事の先輩や年上の知人には「私」を使っていることが分かります。「俺」や「僕」は私的な関係、「私」は公的な、改まった関係の相手に使っているようです。また同じ相手であっても、場面による使い分けが見られます。妻と二人で話す時は「俺」を用いるのに対し、妻の母がいる場で妻に話す時には「僕」を用いています。「俺」の方が「僕」よりもぞんざいな印象を与えるため、妻の母のいる場では妻に対しても「僕」を用いているのでしょう。
60代男性の場合も同様に複数の自称詞を使い分けています。自分の弟や妹には「俺」を、娘婿を含む家族との会話では一貫して「私」を使っています。地域ボランティアの会の役員会という、親しい仲間同士とはいえ改まった場面では「僕」を中心に使っていますが、2例だけ「俺」を使っている箇所がありました。ボランティア主催のイベントにやっかいな人が参加して腹が立ったという語りをしている箇所です。ぞんざいな印象を与える「俺」を用い、腹の立った経験の語りを演出していると考えられます。同じ相手、同じ場面でも、話題によっては異なる自称詞を使うことがあるようです。
こうした場面や相手による言葉の使い分けを細かく調査するには、多様な日常場面の会話を収めた「ことばのデータベース」(コーパスと呼びます)が有効です。
「日常会話コーパス」プロジェクトでは、一般の協力者にご自身の日常生活の中で生じる会話を収録してもらい、コーパスとして整備しています。下の図にあるように、自宅での家族との会話や職場での会話、友人との会話、理髪店での会話など、多様な場面・相手との会話が集まってきました。先ほどご紹介した二人の男性の自称詞の使用は、このコーパスを使って調べたものです。来年度、全体目標200時間の会話コーパスのうち、先行して50時間の会話を公開する予定です。ぜひ、私たちが普段どのような場面でどのような言葉づかいをしているのか、調べてみてください。
小磯花絵
KOISO Hanae
こいそ はなえ●准教授/専門はコーパス言語学・コミュニケーション科学。奈良先端科学技術大学院大学博士後期過程修了、博士(理学)。1998年に本研究所着任。