ことばの波止場

Vol. 9 (2021年3月発行)

学習者の「打つ」をサポートする 「具体的な状況設定」から出発する日本語ライティング教材の開発

学習者の「打つ」をサポートする「具体的な状況設定」から出発する日本語ライティング教材の開発

「書く」から「打つ」へ

私たちの日常生活を振り返ると、日本語を「(手で)書く」機会よりも、「(キーボードやタッチパネルで)打つ」機会のほうが、圧倒的に多くなっていることに気づきます。「書く」から「打つ」への移行だけでなく、以前なら電話で伝えていた用件を、電子メールやLINEで伝えるようになるなど、「話す」から「打つ」への変化もみられます。日本語が適切に打てる力というのは、社会生活を営む上で今後もますます重要になっていくことでしょう。

このような状況は日本語学習者(=第2言語/外国語(注1)として日本語を学んでいる人。以下「学習者」)にとっても同じです。

このプロジェクトでは、学習者が日本語を「打つ」ことを学べるようなウェブ教材の作成を目指し、次のような基礎研究を行いました。

  1. 現実のコミュニケーションにおいて、国内外の学習者はどのような状況で何を日本語で「打つ」のか。
  2. そこでは、どのような言語/非言語のスキルが使われているのか。
  3. 学習者にとって、日本語を「打つ」ことの何が難しいのか。

学習者には、すでに母語や既習外国語でパソコンやスマートフォンといったデジタル機器を使いこなしている人も数多くいます。そのような人に対するサポートは、これらのデジタル機器の使用に不慣れな日本人へのサポートとはまったく異なる視点でデザインされなければなりません。

「フィリピン」と打つには?

具体的には、デジタル機器に慣れた学習者には、「電源のオン/オフ」「ファイルの保存や転送」といった機器操作の説明はまったく不要です。

しかし、どうすれば「」、『』、{ }、【】といった2バイトの記号を出力できるのか、これらは日本語でどのように使い分けられているのかといった情報は非常に重要です。あるいはHACHIとタイプした後、どうすれば「八」「鉢」「蜂」「ハチ」といった日本語表記を選択・確定できるのか、「フィリピン」と打つときに、なぜPHILIPPINEとタイプしたのではダメなのか、といった日本語入力の仕組みについての説明も必要です。

また、「今日は日曜日です。」と打ちたいときに、どのタイミングでスペースバーを押せば、効率よく漢字かなまじり表記に変換できるのかといった点については、「単語」「文節」「文」といった言語構造とあわせて、原則を説明する必要があります。こういったサポートに日本語教育の視点は欠かせません。

LINEの文法

もちろん、サポートが必要なのは、機器操作だけではありません。このプロジェクトで行った調査によれば、学習者には、同じ学生寮に住んでいる日本人学生と留学生10数名で作っているグループLINEに「めし行く人!」という書き込みがあったとき、日本人学生は全員が「食事に誘われている」と理解したのに対し、留学生は誘われていると理解できませんでした(小林 2019)。このことは、「グループLINEに現れる「めし行く人!」は勧誘の機能を持つ」といったように、単なる名詞句を越えた一定の規則性(=文法)が存在することを示しています。

また、学部留学生と日本人チューターとの間でやりとりされた「学内での待ち合わせ」に関するLINEの書き込みを分析したところ、「今日来る?」「いま行く」「向かいます!」といった短い書き込みで使われている移動動詞の選択や解釈には、「移動の方向性」といった従来の文法研究で指摘されている要因以外に、「キャンパスの広さ」「互いの居場所」「待ち合せ場所に着くまでにかかる時間」「「すぐに待ち合せ場所に向かえるかどうか」といった自分自身の状況」などの要因が関わっていることが明らかになりました。また、このような移動動詞の使用について、学部留学生にフォローアップインタビューを行ったところ、使われている移動動詞を手がかりに相手の居場所を把握することには成功していないことがわかりました(副田・大和 2018)。

このような研究成果からは、即時性、双方向性、移動性といった特性を持つデジタル機器で使われる日本語の背景には、従来とは異なる動的な文法が存在している可能性があることが示唆されます。

LINEの画面

ピラニアを探しにアマゾン河へ

このプロジェクトのキーワードは「状況」です。ことばを、使われた具体的な「状況」から切りはなさずに観察するというアプローチをとっています。

言語研究には、「形態論(morphology)」「統語論(syntax)」のように、基本的に言語のみを研究対象にするものと、「語用論(pragmatics)」のように「言語が使われている状況」まで視野に入れるものがあります。「言語のみを研究対象にする」というアプローチの前提には、自然な状況で使われていることばから、ことばだけを切り離し、その個別具体性を取り除くことによって、言語の抽象的な「文法」が記述できるという考え方があります。

その一方、ことばが使われている個別具体の状況から、ことばだけを切り離し、「文法」を記述することはできないという考え方があります。なぜなら、個別具体の状況と「文法」とは、そもそも分離不可能なほどに絡み合っているからです。このような考え方は、次のような比喩によって説明されることがあります(注2)。

アマゾン河に棲息するピラニアについて知りたいとする。捕獲して、実験室に運び、解剖したり、薬剤に反応させたりすれば、そのピラニアの基本構造、身体組成などは明らかにできる。大量に捕獲して計量すれば、大きさや重さの平均値を知ることもできる。しかし、そのピラニアがアマゾン河でどのように生息し、どのように活動しているかといった生態の全貌は、アマゾン河の中で観察しなければわからない。ここでいうピラニアは「ことば」、アマゾン河は「ことばが使われた個別具体の状況」を意味しています。この比喩の助けを借りるなら、「「状況」から出発する日本語教育」というのは、「ことばを実験室に運び込むのではなく、使われた状況の中で観察、記述し、その成果を踏まえてデザインされた日本語教育」と言い換えることができます。個別具体の状況は無限ですので、それらをすべて事前に観察、記述することは、原理的には不可能です。それにも関わらず、私たちは初めて遭遇する状況において、語や表現や文型を選び出し、(その成否はともかく)自らのことばを組み立てています。これは即ち、個別具体の状況は無限であっても、そこでのことばの使われ方には、有限の社会的合意(=文法)があることを示しています。社会的合意には、緩やかなものから、かなり確立された厳しいものまで段階性があり、ことばの使い手としての私たちは、社会経験を重ねる中で、帰納的、演繹的に広狭さまざまな文法を学んでいるのでしょう。このような言語観、文法観に立つのであれば、日本語教育においても、無限の個別具体の状況にあることばを状況に置いたままで観察、記述し、有限の社会的合意(=文法)に還元していくことが必要になります。

注1 :「日本で日本語を学ぶ」といったように、目標言語が使われている環境で学ぶ場合を「第二言語」、そうでない場合を「外国語」と呼びわけることがあります。
注2 :  柳町智治氏(北星学園大学)の私信による。

小林ミナ(2017)「状況から出発する」アプローチ『早稲田日本語教育学』22、101-113.
小林ミナ(2019)「「状況」から出発する日本語教育」『早稲田日本語教育学』27、i–vii.
副田恵理子・大和えり子(2018)「『書く』言語的スキルとは―LINEによる待ち合わせ場面の分析から」、「「具体的な状況設定」から出発する日本語ライティング教材の開発 第2回公開研究会」(2018.1.28、於国立国語研究所)

(早稲田大学大学院日本語教育研究科・教授/小林ミナ)