ことばの波止場

Vol. 9 (2021年3月発行)

研究者紹介 : 木部暢子

研究者紹介019:木部 暢子

言語の保存の最も理想的な形をめざして

研究の道に進んだきっかけは?

高校時代、国語が好きだという単純な理由で大学の文学部に入りました。特に「万葉集」が好きだったので、開講されていた「万葉集」の講義を受講しました。講師は、『上代国語音韻の研究』の著者、森山隆先生です。半年間で2首しか進まないという脱線の多い授業でしたが、その脱線がじつに魅力的。定まった読みのない歌が多いことや奈良時代の発音が現代の発音と違っていたことなどを知りました。特に興味を引かれたのは、文献資料からどうやって奈良時代の発音を復元するかです。それで、卒論では上代日本語の音韻の研究をしたいと思いました。しかし、すぐに挫折しました。橋本進吉、有坂秀世など偉大な研究者が山ほどの研究成果をあげていて、勉強すればするほど自分にできることなどもう何もないと思えてきたのです。

そのころ、研究室にはアクセント研究がご専門の奥村三雄先生がおられ、平曲譜本(琵琶法師が語る平家物語のメロディーを写した譜面)の研究をなさっていました。やはり同じように、文献資料から当時のアクセントを復元する研究に心を引かれました。そこで私は、平安時代の辞書『類聚名義抄』に付された声点(アクセント符号)から当時の複合語のアクセント規則を推定するというテーマで卒論を作成することにし、無事卒業しました。

これまで、どんな研究を?

しかし、この研究にもやがて限界を感じます。文献資料に書かれていることは、言語全体のごく一部にすぎません。「不在証明はできない」と言いますが、文献に用例がないからといって、平安時代にそれがなかったとは言えないのです。それなら、不在証明ができるような研究をしようと思い、方言の調査研究を始めました。方言なら「ない」ものは「ない」と答えてくれる人がいます。また、方言調査では文献資料に出てくる古いことばに出会えることがあります。これも方言調査の魅力でした。

転機は1988年に訪れます。鹿児島大学赴任です。鹿児島といえば、平山輝男先生のご研究以来、型の区別が2種類しかない二型(けい)アクセントとして知られている地域です。鹿児島にいた22年の間に南九州、トカラ列島、奄美群島などいろいろなところを回りました。

ゴンザ資料との出会いも大きな転機となりました。ゴンザというのは、18世紀初頭にロシアへ漂流した薩摩の少年です。彼がサンクトペテルブルクで作成した薩摩語資料が現在、ロシア科学アカデミーに所蔵されています。最初に発見したのは九州大学の村山七郎先生ですが、鹿児島市在住の吉村治道氏の働きかけにより、1994年に全資料のマイクロフィルムが鹿児島県立図書館に収められました。私はこの資料から当時のアクセントを復元してみることにしました。結果は現代の鹿児島式二型アクセントとは異なり、屋久島の二型アクセントや長崎の二型アクセントに近いものでした。フィールドワークによる研究とゴンザ資料による研究を合わせて書いたのが、2000年の『西南部九州二型アクセントの研究』です。

現在行っている研究は?

2010年に国立国語研究所に着任してからは、消滅危機言語・方言の記録・保存の研究を行っています。2009年のユネスコの “Atlas of the World’s Languages in Danger” (世界消滅危機言語地図)第3版を受けての研究ですが、鹿児島大学在職中の方言調査の延長線上にあるものです。

消滅危機言語の研究とはどのようなものかというと、その言語が消滅しても復元が可能なくらいの資料を作成しておくという研究です。そのために、辞書、文法書、談話テキストのいわゆる3点セットを作ります。音声や動画も収録して、解説やタグを付けておきます。国語研のプロジェクトが3点セットの見本を作成し、多くの人がこれを参考にして、各地の言語を記録してくださればと思っています。

今後やりたいことを教えてください

言語の保存の最も理想的な形は、子どもたちが地域の言語を自由に話せるようになること、そのような環境が代々受け継がれることです。ただ、これは研究者がやることではなく、地域の人たちが、自分たちの地域をどうしたいかを考えた上で実施することです。これからはそのお手伝いをしていきたいと考えています。

与論民俗村にて調査をする木部暢子教授
調査風景(与論民俗村にて 2017年7月20日)

研究者紹介 019 : 木部暢子 「言語の保存の最も理想的な形をめざして」

木部暢子
きべ のぶこ●副所長・言語変異研究領域 教授。
1955年福岡県出身。九州大学、同大学大学院で日本語学を学び、純真女子短期大学、福岡女学院短期大学、鹿児島大学での勤務を経て、2010年より現職。専門は日本語の音韻・アクセント、消滅危機言語・方言に関する研究。