第34号(2008年1月1日発行)
国立国語研究所には研究員の研究能力等の向上を目的に研究員を外国に派遣する在外研究員という制度があります。私はその制度を利用し,昨年11月から10ヶ月間,コロンビア大学で研究をするという貴重な機会をいただきました。コロンビア大学(1754年創立)はアメリカで6番目に古い私立大学で,キャンパスはニューヨークのマンハッタンにあります。建物はどれも趣きがあり,またロダンの彫刻なども置かれており,NYの観光スポットの一つです。特に写真にある図書館とその前にあるアルマ・マター像(母校の意)は大学の顔と言えるでしょう。
コロンビア大学は歴史のある大学ですが,私は1979年と比較的最近設立されたコンピューターサイエンス学科の,音声言語処理グループに属していました。
グループを統轄するのは Julia Hirschberg 教授です。音声言語処理というのは,例えばコンピューター上で人間の音声を自動で認識したり合成したりする技術のことです。またこれらの技術の応用として,コンピューターと人間が対話をするシステムや,講演や会議などの音声を自動で認識・要約して議事録を作成するシステムなどの開発も盛んです。このような技術を開発するためには,人間の発する音声がどのような性を持っているのか,人間の会話がどのような構造になっているか,といったことを明らかにする基礎的研究が欠かせません。教授は早くからこの基礎的研究にも関心を寄せ,音声のイントネーションなどについて言語学者との共同研究を積極的に行ってきました。
このような教授のもとで私は,「話者交替」と呼ばれる現象について研究してきました。日常の会話では,誰が,いつ,どのような順番で話をするかは決まっていないにも関わらず,多くの場合,特に大きな混乱もなく話の順番が自然と調整されています。このような現象はみなさんには当り前すぎて,なぜ研究対象とするのか分からないかもしれません。しかしコンピューターと人間が対話するシステムでは,コンピューターは話を適切な位置で開始・終了したり,人間の話の最中に適当に相槌を打つ必要があるわけですが,そのタイミングの見極めがとても難しいのです。そのため,Hirschberg教授を含め対話システムを開発している研究者は,人間同士がどのように話のタイミングを調整しているのか,そのメカニズムに強い関心を持っており,今回これをテーマに共同研究をしてきたというわけです。
さて,かたい話はこれくらいにして,最後にNYでの生活について少し書くことにします。行ってすぐのころは真面目にもほぼ毎日,朝から晩まで大学で研究をしていました。しかし教授や研究室の大学院生はみな,毎日は来ませんし,来ても夕方5~6時になるとさっさと帰っていきます。私がぐずぐず遅くまで残っていると,「早く帰ってNYの生活を楽しみなさい!」と言われてしまいます。確かにたった10ヶ月の滞在です。心を入れ換え,月に2回は大学の帰りにオペラやクラシックのコンサート,ミュージカルなどに行くように,週末は街や公園を歩き回ったり美術館や博物館などに足を運んだりするように心掛けました。忙しいニューヨーカーですが,お昼になると近くの公園に集ってきて,賑(にぎ)やかに食事をします。一人で本を読んでいても声をかけてくれる人が結構います。また夏にはフリーのイベントが盛り沢山で,プロによるオペラやクラシックのコンサート,ジャズなどを毎日のように公園や広場などで楽しむことができます。このような場所では知らない人同士でもとても盛り上がります。確かに大学では味わえない雰囲気が街には溢(あふ)れていました。教授は研究だけでなくこんなことにも良いアドバイスをしてくれたわけです。
日本に戻ってきて3ヶ月半が経ちました。研究室に閉じ籠っていないでもっと外の世界も楽しむ,これをNYで学んできたはずなのですが,残念ながら学習の効果はあまりなかったようで,元の生活にあっという間に戻ってしまいました。今この原稿を書きNYでの生活を思い出しながら,深く反省をしているところです。
(小磯 花絵)
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。