第35号(2008年4月1日発行)
言葉は時代とともに変化します。現代日本語の確立期にあたるこの百年ほどの間にも大きく変化してきました。
現代における適切な言葉づかいや今後の国語政策のあり方を考えていくうえでも,現代語が確立してきた過程を調査することは重要です。
言葉の変化を調べるためには,古い時代の資料から用例を探し出してどのように使われていたかを見ていく必要があります。そのために,以前は,多くの本や雑誌をしらみつぶしに調査するようなたいへんな労力が必要でした。
しかし最近では,「コーパス」とよばれる,コンピューターを使った大規模な言語資料が用いられるようになってきています。国立国語研究所では,「太陽コーパス」という現代日本語の確立期の資料を作成し,2005年に刊行しました。これは,明治・大正期に広く読まれた総合雑誌『太陽』の1895(明治28)年から1925(大正14)年までの記事から,約1250万字分を検索できるようにした日本語データベースです。「太陽コーパス」を利用すると,この時代の言葉の変化の様子を比較的簡単に調査することができます。
ここで,「太陽コーパス」の利用例として,「婦人」と「女性」という言葉について見てみたいと思います。次のグラフは,それぞれの用例数を年ごとにまとめたものです。
大正時代の終わりになって「女性」の使用が飛躍的に延びたことがわかります。「婦人」の用例数も増えていますから,『太陽』の記事の中で“成年女子”が取り上げられること自体が増えたことも影響していると考えられます。
それ以前には「女性」はわずかしか使われていませんが,少ない用例の中には「にょしょう」と読むものが含まれています。「にょしょう」が「じょせい」として定着するのは,明治の終わりから大正にかけてだといわれています。
この後,「女性」の方が「婦人」よりも多く使われるようになって現代に至ります。現代語では「婦人」は,「婦人服」などの複合語や「婦人画報」のような固有名詞に残っていますが,“成年女子”を表す言い方としてはあまり見かけなくなりました。
今度は,「拉致」という言葉を見てみたいと思います。この言葉は,「無理矢理連れて行く」という意味で,今日広く使われています。しかし,それほど昔から使われていた言葉ではなく,古い用例は多くありません。
この言葉は,「太陽コーパス」では13例使われていました。そのうち11例までは政治関連の記事で,「他の政党の議員を自分たちの政党に拉致する」や,「門戸を開いて政治家の資質のある人を拉致する」などという文章の中で使われています。ほかには,「天下の学者を皇帝のもとに拉致したので,多くの優秀な人物でいっぱいだった」という例もあります。(用例の原文の文語文を現代語訳しました。)
こうした用例を見ると,どうやら当時は必ずしも強制的なものではなく,「連れてくる」「招き入れる」といった意味だったようです。少なくとも,現代語で見られる「誘拐する」というような意味合いはありません。後の時代に「無理矢理」という意味が強くなっていったものだと考えられます。なお,大正ごろまでは読み方も「らっち」が普通だったようです。
このように,コーパスを利用することにより,珍しい用例を集めて意味の変化を調査することも可能になりました。
国語研究所では「言語コーパス整備計画KOTONOHA」を推進しています(「太陽コーパス」もその一角に位置づけられています)。現在は大規模な「現代書き言葉均衡コーパス」に取り組んでいるところです。この計画が進めば,現代語の確立の過程についても,用例に基づいた詳細かつ正確な調査が容易に行えるようになるはずです。
(小木曽 智信)
このコーナーは国立国語研究所所員が書いた文章を発行元の許可を得て転載するものです。
『文化庁月報』平成19年10月号「言葉を見つめて」より転載(一部加筆)。
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。