接客で失敗をしてしまい、「申し訳ございません。」と謝ったら、「その言い方は間違っているから、正しい日本語で謝りなさい。」と、さらに叱られてしまいました。どこをどう直せばよいですか。
これは「とんでもございません。」は間違いで、「とんでもないことでございます。」と言い直すべきだ、という話と同じです。「とんでもない」「申し訳ない」という大きな一つの言葉だから、「ない」の部分だけを自動的に「ありません」や「ございません」にしてはいけない、と考えているのです。
さて、言葉をもって謝る、という行為(言語行動)は、あくまでも穏やかで冷静な精神状態では、できないのではないでしょうか。ある程度、慌てたり、感情の起伏を伴ったりするからこそ、真摯な謝罪の意思が相手に伝わるのです。その際、この場ではどの言い方が正しく、どの言い方は禁忌だ、と立ち止まって考えているようでは、本気で謝る態度や言葉にならないかもしれません。
確かに、「だ・である」(常体)はもちろんのこと、「です・ます」(敬体)よりも、文末に「ございます」を付ける、いわば「ございます」文体の方が、敬意度は高いと感じられます。ここでも「申し訳ない」より「申し訳ありません」、さらにそれより「申し訳ございません」になった方が、丁寧の度合は増しています。自然な発話という点からすれば、思わず「申し訳ございません。」と謝ってしまった、という現実は多いのではないでしょうか。
生涯学習や面接の訓練などで、必須項目や到達目標を立てたり、暗記を課したりして、「正しい日本語」を身につけたい、という人は大勢います。しかし、この謝罪という場面を、言語行動や言語意識として一歩離れて眺めてみれば、≪どういうわけだか≫、(考え方次第では、理屈には合わないかもしれない)その言い方が、≪かなりひろく通用してしまっている≫ということはあるものです。そちらの方が、大勢の人は納得し、その場も丸く収まったように思われませんか。つまりこれは、言語がしばしば、その恣意性と社会性という性質を発揮してしまうので、これ以上議論を尽くしても仕方がない、とさえ思われる言語現象かもしれません。「正しい」より、「ふさわしい」の方が勝る、というわけです。