「~は御遠慮ください。」という表現は不適切だ、ということを読んだことがあります。本当でしょうか。
「遠慮」という語は、はじめ「遠く先までも見通すこと」でした。これは、現代で「深謀遠慮」という言葉で使うときと同じ意味です。この用法は、平安時代以来、漢文の記録や漢文訓読体の軍記物などで使われていました。その後、室町時代から近世にかけて、「言動を差し控える」という意味で使うようになっていたようです。またさらに、「自分から断わる、辞退する」という意味でも使います。この用法はさらにすすんで、現代でいう、お祭りなどを「自粛する」ことにも使いましたし、また、江戸時代には、「謹慎」の刑罰のことや、病や物忌を理由に、出仕や面会を「自重」する意味でも用いました。
これら「辞退・自粛・謹慎・自重」は、なんらかの自分の行動を差し控える行為です。その根底には、いわば、世間をはばかる精神が流れているのかも知れません。しかし、用語や語法そのものには、謙譲の用法(あえて言い換えてみれば、「差し控えさせていただく」の「させていただく」の部分)、すなわち待遇の本体がある、というわけではありません。
さて、「御~くださる」は相手の行為を高める、尊敬語に属する敬意表現です。「御遠慮」は和語でいえば「お控え」にあたり、全体で「お控えください。」と言い換えられます。「御遠慮ください。」ばかりが罪深いように言われるのは、どうしてでしょうか。第一に、和漢の語種の違いがあります。和語の効果として、柔らかく感じられ、その分、婉曲の度合いは大きく、禁止の度合いも、より弱く感じられる、ということはあるかもしれません。
たとえ漢語「遠慮」を使ったとしても、さらに敬意表現を伴った「御遠慮いただいております。」などの方が、紋切り型の「御遠慮ください。」よりも、少しは“まし”に思われるでしょう。これは、「御遠慮ください。」と言い切っていないので、話し手の謙譲の心持ちが、少しでも聞き手に伝わるからでしょう。
「御遠慮ください」が不適切な表現だ、と判断されるのには、おそらく、いくつかのことが同時に複合していて、全体の表現として「心地よくない」から不適切だ、と解釈できるのかもしれません。「間違いかどうか」の範囲を、用語本来の厳密な意味・用法に限定せずに、表現やその効果にまで拡大するとしたら、「やめておくに越したことはない」という話です。
このことを、商業的な応接マニュアルなどで、理由もなくルール化する必要はないかも知れません。が、言葉の性質を見極めて、よりよい別の方法(例えば、「飲食物のお持ち込みは、御容赦願います。」など。)を積極的に探すのがよいでしょう。