ことばの疑問

「受付する」の是非

2013.03.25 山田貞雄

質問

「開場30分前より受付します。」という案内を見かけました。本来なら「受付けをします。」と書くべきではないでしょうか。

回答

話し言葉では違和感はないでしょうが、書き言葉で、しかも改まった文章や、不特定多数の人に向かっている文章では、「受付をします。」「受付いたします。」などの方が、丁寧でおさまりがよい、と思われます。

たとえば、動詞「受け持つ」から「受け持ち」が連用形転成名詞としてあって、「受け持ちの先生」などと普通に使います。では、動詞「受け持つ」があるから、動詞の時には「受け持ちする」とは決して言わないのか、というと、人によっては、「今年も同じ担任が受け持ちする。」もあるかもしれません。しかも、これが「受け持ちをする」の短縮なのか、「受け持ち(名詞)-する」というサ変動詞の意識で言っているのかは、人からみても、使っている本人の意識も、明らかではないでしょう。

なお、「受け渡し」などは、単独の名詞として広く使われていて、動詞としても「受け渡す」と「受け渡しする」の両方が用いられています。しかし動詞「受け払う」の使われることはさほど多くなく、「受け払い-する」が一般的に思われる、といったように、使用の実態と、言語意識の事情は、語毎に異なるでしょう。明治期にサ変で使われた漢語が、現代ではそう言わない、といった時代的な変化を見せる場合もあります。

さらに、「勉強しなさい。」と「勉強をしなさい。」とでは、実際には全く同じことを言っていることにはならないことも多いでしょう。前者はあまり実質的な意味や、「ほかでもない勉強を」と選択的に言っているようには聞こえません。むしろ反射的に、あるいは決まり文句として、表象の意味しか持たないようにさえ、思われます。

一方後者は、なにか前後に文脈があるのか、あるいは外を排して勉強こそを、という判断や強調をさえ、感じるでしょう。

「受付」の場合でいえば、「開場」や「開演」など、「受付」と対比する語が一緒にあるかどうか、を気にかける必要もありましょう。「を」を挟む名詞と動詞「する」との間に格の関係があるのか、単にサ変で言ってしまうのか、の違いというのも、単なる省略なのか、口語的な粗雑な言い回しなのかといっただけでは片付かなくなりそうです。

さて、一口に動詞の名詞化といっても、いろいろな意味になります。「受付をします」の場合の名詞「受付」は「受け付けるところ」ではないのは明らかですが、「受け付けをする役の人」なのか「受け付けること」の意なのか、と考えてみると、どちらにも見えます。動作の場所や人だけではなく、動作そのものの名詞としてもよく使われ、いわば熟しているが故に、「受け付け-する」が不思議に思われない、という状況もあるかもしれません。

さらに、言葉のやりとりを考える上では、受け取る立場の人の状況や、反応までをも想像することは、大事なことと思われます。人によって違和感がまったくない、とは言えない以上、どこででも無批判のままオールマイティに用いるべきではない、と考えられます。

では実際、辞書をひいてみると、どうでしょうか。名詞とだけしてサ変動詞とは書かないものもあります。同じ語を引いても、サ変動詞の判断に違いがあるのです。この違いはなにか、と考えてみると、辞書づくりのルール以上に、その言葉の使い方の多様性や、言語意識の違いに関する、捉え方の「ゆれ」ということに至ります。

「ゆれ」の中には、たとえば、社会集団による言語の「ゆれ」もあるでしょう。同じ専門分野の中や、同業間では、その仲間同士が意味も通じて、情報伝達に支障もなく、それどころか、それ以上に、連帯や仲間意識を共有したり、刺激し合ったりするような、効果も期待できる場合さえあります。

具体的にいえば、言語の畑で「連濁する。」「本濁する。」や、歴史学や日本語学などの資料の関係者あるいは書誌学の分野で「翻字する。」「翻刻する。」「影印する。」「連綿する。」などという言い方があります。関係者の間では、意識もなく日常的に使っていて、「そんな言葉は見た事も聞いたこともない。」と言われて初めて、通じない人のいることを知った、という場合もあるのです。

一方に「通じればよい」言葉があります。また一方には「見せるべき言葉」や「聞かせるべき言葉」もあります。

書いた人

山田貞雄

YAMADA Sadao
やまだ さだお●伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。