取引先と電話で話していて、「了解しました。」と使っていたら、上司から、「目上にあたる相手に『了解しました。』は失礼だから、止めるように。」と言われました。調べてみたのですが、インターネットなどにいろいろな記述があるものの、はっきり分かりません。判断の決め手はあるのでしょうか。
最初に、形式からだけみると、文末を「しました。」と敬体にしているので、最低限度の丁寧を保っている、といえます。さらに「いたしました。」にすれば、謙譲が加わって、もっと敬意度が高まります(「了解いたしました。」)。では、これで果たして十分な敬語、どこに出しても結構な敬語として認知を得られるのでしょうか。
次に「了解」という言葉の意味が、敬意表現にふさわしいかどうか、が問題になるでしょう。一見、「了」が「すっかり~し終わる」の意味を添えているかに見えますが、実は、「了」には「解」と同じように「よくわかる・さとる」という動詞の用法があります。ですから、この二字の漢語は、類似の動詞を重ねた言い方になっていると思われます。少なくともそこには、待遇を表わす要素は含まれていません。
さて、日本語での漢語の用法は、短くてすむ、とか、抽象度が増す、その場での「あらたまり」が増す、などという副次的な効果が期待され、それを何となく感知して、日常の言語生活でも無意識に漢語を選んだりする場面があるでしょう。
ここでも、「了解しました。」は、本来「すっかり分かりました。」や「よくわかりました。」の意味だったはずですが、その実質的な意味をいちいち意識することもなく、使っていることは多いでしょう。その最たるものが、電話や無線などの通信、業務上のやり取りなどで、相手の言ったことが分かった、という証拠に短く「了解。」と返事をすればよい、という用法です。
このことを従来の使い方を主として説明する国語辞典では、「相手からの指示・命令に納得した返事として用いられることがある。」として、緊急出動命令への返答を例に、時にはそういう使い方もあるよ、といった注を与えています(三省堂『新明解国語辞典』)。
一方、現代的な運用を主に解説しようという国語辞典では、「近年目上の人の依頼・希望・命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用に馴染まない(ぶっきらぼうで敬意が不足)。」と表現上の注を与えているものもあります(大修館書店『明鏡国語辞典』)。なお、ここでは、無線通信などの返答の用法を、別の語釈として立てています。
これらの辞書は、書かれた時代も著者の世代や記述態度も異なるわけですが、結局同じ「了解」の性質を、それぞれ別の角度から説明してくれている、ともとれるでしょう。
結局思い当るのは、日常の言語生活上の、円滑なコミュニケーションに肝心なのは、もっとふさわしい言葉があれば、そちらの方がよい、とすべき、ということです。いうまでもなく、「わかりました。」「かしこまりました。」「承りました。」など、別にもっと良い言い方が、いろいろあるではないか、その場合には、それに譲ればよい、ということです。
ですから、本来待遇の意味を含まない「了解しました。」が、どうして「ぶっきらぼう」に感じるのか、と探究しても、理屈で余りはっきりとは説明はつかないけれども、おそらく無線通信や業務・作業の際の返答の用法が、なにかしら影響を及ぼしているのかもしれない、といった程度で、明確には分からないままです。それはそれでよいことにして、それよりも、その場にもっとふさわしい言葉を、沢山の手持ちの言葉の駒から、あれやこれや、抽斗の中から衣類を引っ張り出して選ぶように使えばよい、ということでしょうか。使うのを止めるべき理由に、外にもっとふさわしい言葉があるから、でもよいわけです。