ことばの疑問

「とても大きい」のような「とても」の使い方は、昔は間違いとみなされていたのですか

2019.05.15 市村太郎

質問

「とても大きい」のような「とても」の使い方は、昔は間違いとみなされていたと聞きました。本当でしょうか。

○とても物が云れませぬ ×とてもよく行はれる

回答

1. 「とても」の歴史

「とても」という言葉は、古代から現代に至るまでに意味や用法の大きく変わった語として、しばしば研究で取り挙げられてきました(涌井澄子「程度副詞「とても」の研究―陳述副詞から程度副詞への用法の変化を中心に―」、吉井健「「とても」の語史」等)。国立国語研究所コーパス開発センター編の『日本語歴史コーパス注1を使って、「とても」の流れを確認してみます。

まず「とても」の語源ですが、「とてもかくても」を略したものと見られています。中世ごろには、現代の「大変」「非常に」のような程度副詞的な意味ではなく、「どうせ」「いずれにしても」「どうあろうと」のような意味を表す陳述副詞として用いられていました。次の例は、室町時代の話し言葉を反映する資料とされる『虎明本狂言集』のものです。

とてもかひまらする程に、身共に下されい、罷帰て、たのふだ人のまへにての、証拠にいたさう程に

【訳】「いずれにしても買いますから、私にください。帰って主人の前に出たときの(打ち出の小槌を説明する)証拠にしますので。」

(『虎明本狂言集』・脇狂言「たからのつち」1642年写 下線・訳は筆者)

これが明治頃になると、次の例のように不可能を表す語句を伴う用法に限定されたとみられています。この用法は現代でも続いています。

明日(あす)なりと御目(おめ)(かゝ)りトツクリ御禮(おれい)(まお)したいが、()()見ては(とて)(もの)(いは)れませぬ

(饗庭篁村(1895)「從軍人夫」、『太陽』1号・博文館 下線は筆者)

その後、新村出『日本の言葉』によると、「大正十年ごろ」(p.182)、「大変」「非常に」のような意味で、肯定的文脈で用いられる程度副詞の用法の「とても」が聞かれるようになったとのことです。新村出が編者である『広辞苑』の初版(昭和30年刊・岩波書店)では、「とても」の項で「明治末期より否定をともなわずに用いる」(p.1557)としています。

「とても大きい」のような、いわゆる程度副詞としての「とても」は、「とても」という言葉の歴史全体から見れば、新しい用法なのです。

2. 程度副詞用法発生期の「とても」に関する規範意識

次に、前項で確認した新しい程度副詞用法について、どのような使用意識があったのかを確認します。文学者として有名な坪内逍遥の文章に、程度副詞用法に対する意識をうかがわせる記述があります。

近頃は「とても」という訛語非常に廣く使用される。いふまでもなく「とても」は「とても」、「かくても」が(つゞま)つて出來た俗語だから、標準語(東京語)ではいつも打消し言葉で結ぶのが例だ。それだのに近頃は「とても面白い」、「とても有力だ」、「とてもよく行はれる」なぞと連用する。中には「到底(とて)も」とルビまで附けて書く者もある。(下線は筆者)

(坪内逍遥(1923)「所謂漢字節減案の分析的批判」:『逍遥選集』春陽堂・1927・p.627)

坪内は程度副詞用法の「とても」を「訛語」「俗語」とし、「標準語(東京語)」の用法とは異なるという判断を示しています。少なくとも大正12(1923)年当時すでに流布していたこと、そして逍遥の言語規範からは外れていたことがうかがえます。芥川龍之介も『澄江堂雑記』(大正7~13年)で、この用法を「新流行」と位置付けて「東京の言葉ではない」(『芥川龍之介全集』4・筑摩書房・1964・p.148より)と述べています。また、新野直哉「昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」には、昭和10年代の国語学に関する専門誌にみられる、この用法を「誤用」視する記述が挙げられています。

このように、大正期から昭和初期にかけて、「とても」の程度副詞用法を「きちんとした(東京の)言葉遣いではない」とみなす記述が複数見られることから、当時の中央語の規範意識に照らして程度副詞用法を「間違い」とみなす人は少なくなかったと推測されます。

さらに、辞書を確認してみると、例えば、明治44年の『辞林』(金澤庄三郎編、三省堂)の語釈には「いかようになすとても。いかにしても。どうしても。」(p.1136)、大正6年の『大日本国語辞典』第3巻(上田万年・松井簡治著、金港堂、国立国会図書館「近代デジタルコレクション」より)には「どうしてもこうしても。いかにしても。何としても。とてもかくても。」(p.1048)、昭和9年の『大言海』第3巻(大槻文彦著・冨山房)には「イカニシテモ。如何ニストモ。何トシテモ。所詮。到底。」とあるばかりで、「非常に広く使用され」つつあったはずの程度副詞用法への言及はありません。『辞林』の後継、大正14年刊の『広辞林』(金澤庄三郎編、三省堂、昭和5年版)に「非常に。はなはだしく。すこぶる。」(p.1322)とあり、記載のなかった『辞林』の頃に比べ程度副詞用法の広まりに対する認識のあったことが伺えますが、ここでは「俚語・方言」用法としての扱いでした。今回確認した中では、新村出編の『辞苑』(昭和10年刊 博文館)に特段の注記なく掲載されており、このような掲載例としては早いものということになりそうです。先ほど挙げた編者の認識が反映されたものだと思われます。

また、国(文部省)が編纂していた国定国語教科書では、第1期(明治37年)~5期(昭和16年)まで、程度副詞用法は見られません。「流行」していたにも関わらず、俗な言葉として認識されていたからか、規範性が強く求められる資料では、積極的には採用されなかったことがうかがえます。

辞書および国定国語教科書に見る「とても」のまとめ

これらの材料から考えると、明治末・大正期から昭和の初めにかけて、「とても」の程度副詞用法は、教養人の目に付くくらい「非常に広く使用」されていたが、中央語(東京語)の中では規範的ではないと見る向きが強かったようです。

3. 「とても」の程度副詞用法の定着

では、「とても」の程度副詞用法はいつごろ現在のような形で共通語の中に定着したのでしょうか。このことについて、新野直哉「昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」は、昭和10年代初めの国語教育専門誌に用例が見られることから、「国語教育の場ではすでに容認されており、(昭和10年代)後半には共通語の中に定着していた」(p.8、()内は筆者)と見ています。また、先に見たように昭和10年の『辞苑』に記述があることからも、このあたりの年代には、時に俗語扱いされながらも、定着しつつあったと推測されます。

昭和22年より使用された第6期国定国語教科書『国語』に、次のような例がみられます。

【会話文の例】

いちろうさんが家に帰ると、おかあさんが、げんかんにむかえにでました。
「きょう、ぼく、とてもうれしかった。」
「おじいさんが、かわいがってくださったのでしょう。」 (第三学年上「三ありがとう」)

【書き言葉の例】

5月28日(月)晴23度
よく晴れた日には、とても元氣があります。うさぎでも、くもった日や雨降りの日は、きらいなのでしょう。 (第四学年上「八うさぎ日記」)

(以上、海後宗臣編(1964)『日本教科書大系近代編第九巻国語(六)』講談社・下線は筆者)

国定の国語教科書で使用されるに至って、遅くともこの時期には、「中央語の言語規範に抵触しない言葉遣い」の仲間に入ることができたと言ってよいでしょう。

注1)『日本語歴史コーパス』(バージョン 2017.9 中納言バージョン 2.3 https://chunagon.ninjal.ac.jp/

書いた人

市村太郎

市村太郎

ICHIMURA Taro
いちむら たろう●常葉大学 教育学部 専任講師。
1981年生まれ。静岡の大学で日本語史の研究をしています。「たいそう」や「たいへん」、「ほんとうに」や「まことに」などの副詞について、どのように使い分けられ、現代に至るのかを明らかにすることを目指しています。また、『日本語歴史コーパス』を構築・活用する共同研究プロジェクトに参加し、日本語の歴史をたどれるような資料データベースの構築を進めています。囲碁が趣味です。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 新村出(1940)『日本の言葉』創元社
  • 新野直哉(2012)「昭和10年代の国語学・国語教育・日本語教育専門誌に見られる言語規範意識―副詞”とても”・「ら抜き言葉」などについて―」『言語文化研究』11、静岡県立短期大学部静岡言語文化学会、pp.1-14
  • 吉井健(2003)「「とても」の語史」、濱田敦・井手至・塚原鉄雄『国語副詞の史的研究』増補版、新典社、pp.311-340
  • 涌井澄子(1988)「程度副詞「とても」の研究―陳述副詞から程度副詞への用法の変化を中心に―」『上越教育大学国語研究』2、上越教育大学国語教育学会、pp.30-34
  • 国立国語研究所『日本語歴史コーパス』(https://clrd.ninjal.ac.jp/chj/