ことばの波止場

Vol. 7 (2020年3月発行)

研究者紹介 : 熊谷康雄

研究者紹介 : 熊谷 康雄 「「言語と人間」の探究に惹かれて」

「言語と人間」の探究に惹かれて

研究の道に進んだきっかけは?

やはり大学時代に恩師の柴田武先生に出会ったことだと思います。中学のときは、無線通信の技術者になろうと思っていて、都立高専の電気工学科に入りました。高専は自由な勉強ができる雰囲気もあり、本当のこととはなんだろうと、基礎的な分野に惹かれていきました。言語の問題が人間に関することの根本に関わると思われ、卒業したら大学に行って言語学を勉強しようと考えました。一浪して埼玉大学教養学部に入りました。言語学の専門はなかったのですが、言語を中心に見据えて、社会システム、文化人類学、中国文化を3本柱に、勉強していました。3年のときに、言語学が専門の先生が赴任されると聞き、勉強したかった音声学の講義に出たのが柴田先生にお会いした最初です。講義の後で、もやもやとしていた疑問を先生に質問したときの気持ちをよく覚えています。世界がどんどん広がっていく楽しい時間でした。先生は研究所の大先輩でもあるのですが、その時は全く知らずにおりました。学部4年のとき、柴田先生の言語地理学の講義が始まりました。先生の『言語地理学の方法』がテキストでした。言語地理学では、方言の語形や発音などを記した言語地図を作って、地域で方言がどう変わってきたかを研究します。先生の企画で、埼玉県南部地域を対象とした調査が始まったのですが、現実の世界でことばの調査をして、話し手から資料を得て、方言の分布を地図に描いて分析するという言語地理学の実践は夢のような経験でした。柴田先生の下で言語学の勉強をしようと思い、大学院に進みました。大学院を出てからは、就職して2年ほど働いていたのですが、退職し、やりかけた研究テーマを続けました。次の当てはないまま退職したのですが、しばらくして、新しい研究部を立ち上げようとしていた国語研に幸運にも採用され、所員になりました。

これまでどのような研究を?

大学院に進んだときは、構造とあいまいさのようなことを漠然と考えていたのですが、柴田先生の企画のいろいろな調査に関わりました。言語地理学調査の継続、言語接触をテーマとする調査、ある辞書の見出し語全て(約7万語)について自分のアクセントを記す仕事(この頃は、いつでもどこでも、ブツブツ発音しては赤鉛筆で記録してました)やそれの関連調査など。地理、社会、個人という異なる視点を持つ言語調査でした。修士は留年して3年いました。修論は『言語特徴による地域分割法としての「ネットワーク法」についての方法論的検討』というものですが、最初は先生のお手伝いのつもりが、今も続くテーマになりました。これらの経験は自分の中で息づいているように感じます。研究所に入所した翌年の1989年、新しく発足した情報資料研究部(後に情報資料部門、2009年まで)に配属されました。研究所では、創立以来、所員が研究成果や研究資料を残してきました。また、図書資料や文献情報などの研究情報にも取り組んでいました。その蓄積の上に、将来に向かって、研究と情報、資料の全体像を踏まえ、これを支える、継続性のある仕組作り、設備や施設、情報技術の導入などの課題がありました。コンピュータやインターネットなどの情報技術の進歩普及の比較的初期からその後の発展の中で課題に向かって仕事をしました。ネットワークを導入したころは、少し歩けば済むような所内でネットワークを引いてどうするの?という疑問も出るような頃でした。今はあたりまえのことがそうなる前でしたので、いろいろなことをやりましたが、長期的な視点を大事にしました。2009年には新しい体制になり、資料や情報は引き継がれています。

今、関心を抱いているのは?

長く携わっている『日本言語地図』データベース(LAJDB)を完成することです。研究所が作成した『日本言語地図』全6巻(1966-1974)は、昭和30年代の日本全国の方言の分布の様子が一望できる基礎的な研究資料です。どのような語形や発音がどこにあるか、全国2400箇所で調査しています。ずいぶん前ですが、研究所の先輩の宮島達夫さんに、もしものときは金属製のケースに入った50万枚の原資料のカード(話者の回答が記録されている)を持って逃げろと、冗談交じりにですが、言われたことがあります。資料の保存と活用を実現する方法として、印刷物の『日本言語地図』の方言分布の情報を計算機で扱える文字データとし、原資料を画像データとして、相互にリンクしたデータベースを構築することを考えました。本格的に着手したのは1999年ですが、続けてきて、近い時期の完成を目指しています。新たな研究の可能性が広がります。

今後の研究についてお願いします。

まずは、『日本言語地図』データベースの完成を急ぎたいと思います。その上で、言語と人間の関係に深く根ざしている言語地理学と言語地図をめぐって、原点から考えたいと思います。

研究者紹介 014 : 熊谷康雄「「言語と人間」の探究に惹かれて」

熊谷康雄
KUMAGAI Yasuo
くまがい やすお●言語変異研究領域 准教授。1955年東京生まれ。学校での専攻は高専の電気工学、学部の社会システム、大学院の言語学と少しずつ「人間」に近づいてきました。1988年12月、国立国語研究所に入所。現在は『日本言語地図』データベースの構築に取り組んでいます。