Vol. 11 (2022年3月発行)
研究の道に進まれたきっかけを教えてください
きっかけは、大学3年生より、水谷・丸山ゼミに所属したことです。
『岩波国語辞典』の編者でもあった水谷静夫先生と、IBMでの研究職を経て大学に戻られた丸山直子先生から学ぶ国語学の面白さに魅了されました。今ほど普及していなかったパソコンを活用したユニークなアプローチで日本語の文法や意味に迫りました。
当時、企業では機械翻訳やワープロ仮名漢字変換の研究が盛んに行われ、そういった企業にゼミの卒業生が研究者として就職していました。ゼミに入りたての頃は、研究者という響きに漠然とあこがれたものの、研究は黙々とするものとのイメージでいたため、幼少時よりとにかくおしゃべり好きだった自分には向いていないだろうな、と思っていました。
ところが、3年次にIBMで1年かけて約3,000文の用例分析をするというアルバイトの機会を得た際に、黙ってコツコツしたその作業がとても楽しかったのです。卒業論文で取り組み始めた「指示語の研究」も楽しくなっていきました。そのような時に、水谷先生の紹介で富士通に勤めていた卒業生の橋本三奈子さんに会いに行きました。研究はチームで進めるものなので、当時つとめていたゼミ幹事のような仕事だと説明され、それなら得意かも、と思い、研究の道に進みました。
最初に入社された富士通ではどのようなご研究をされたのですか
通産省の外郭団体である情報処理振興事業協会へ出向し、言語処理用の基本名詞辞書の構築に携わりました。例えば「車」について「が走る」「を洗う」「に乗せる」といった用例や、修飾関係の語、複合語など、数多くの用例・用法を記載する辞書です。
はじめは私が担当する辞書項目はなく、見出し語の「備考欄」の整理を任されました。そこに、多義語の意味的関係(「今日は天気だ」の「天気」は、広い意味の「天候」のうち狭い意味の「晴れ」を指すなど)を書くことを思いつき、当時大学院生だった本多啓先生と共に取り組みました。それが博士論文につながる研究の第一歩になりました。
国語研ではどのようなご研究をされたのですか
はじめは、『分類語彙表』の増補改訂や外来語の調査に加わりました。その後、書き言葉や話し言葉の「コーパス」(言語データベース)の構築にずっと携わっています。
書き言葉コーパスを用いては、和語や漢語でカタカナ表記される語の使用調査をしました。「モテる」「ネタ」「コツ」「カッコ」などです。また、現代語の文脈中に現れる古風な表現の使用調査をしました。「なきにしもあらず」「いわずもがな」「推して知るべし」などがよく使われています。
話し言葉コーパスを用いては、「僕」より「俺」が多く、「わたし」より「あたし」と言っている、といった調査をしました。また、会話の冒頭に現れる相づち表現には「でしょ」「だろ」「あるある」「別に」「無理」など、多種多様あることを調査しています。
今はどのようなことにご関心があるのですか
大学生の頃より「辞書」への興味関心を持ち続けています。それは、言葉をどうとらえて、どう理解するか、また、どう説明するか、ということへの関心です。つまり「言葉をもっとよく知りたい」ということです。実際の言葉の使用を観察・分析することはもちろん、複数の国語辞典を読み比べることも楽しく、日々、行っています。
新語や新用法、言葉の意味の変化に強い関心があります。話し言葉と書き言葉の差異をはじめ、場面や状況、使用者によっての言葉遣いの差異にも、とても興味があります。つい最近ではネット記事の見出し「弁当大手とコンビニ 胃袋争奪戦か」が気になりました。この「胃袋」は「飲食客」を指すとの説明が可能だろうかと考えています。
今後のご研究について教えてください
来年度より、「学習者用辞書」をテーマにするプロジェクトを始める予定です。国語教育、日本語教育において、日本国内はもちろん、海外の学習者にも利用してもらえるような辞書資源の構築を目指し、まずは、学習に必要な語の選定に着手予定です。
言葉はコミュニケーションの大事なツールであり、言葉を知ることは、理解力と発信力、どちらの強化にもつながります。そしてそれは、とても楽しいことだと思っています。「言葉をもっとよく知る」ための研究を続け、その楽しさの発信にも力を入れていきたいと考えています。
柏野和佳子
かしの わかこ●音声言語研究領域 准教授。
1969年東京都出身。東京女子大学で国語学を学び、富士通株式会社を経て、1998年より現所属、2009年より現職。現職中に東京工業大学にて博士号(学術)取得。『岩波国語辞典』『広辞苑』の改訂にも携わる。