Vol. 11 (2022年3月発行)
研究者の道に進まれたきっかけを教えてください
アメリカの大学院で学んでいたときに、大学の日本語講座とエクステンション講座で日本語を初めて教えました。エクステンション講座は地域の人たちに公開されているので、若い学生が多い大学の講座では出会うことのない大人の手ごわい受講生(日本文化に興味のあるご夫婦、祖父と同世代の男性、障がいのある方等)に、新米の日本語教師は悪戦苦闘しました。でも、そのおかげで、教授法や教育理論が教育現場では万能ではないこと、多様な日本語学習者を理解することの大切さを学びました。今思うと、この経験が日本語教育学の研究に進むきっかけだったように思います。
これまでどのようなご研究をされていましたか
東京都北区にあった国語研究所に採用され配属された部署では「日本語総合シラバスの構築と教材開発指針の作成」という大型共同研究プロジェクトが進行していました。日本語教育の一線で活躍されている先生方が参加され、研究会では熱い議論が交わされていました。私自身もいくつかのプロジェクトに参加したのですが、日本語学者の学習環境に関する共同研究で、今でも忘れられない経験をしました。それは中国帰国者の高齢のご婦人にインタビューしたときのことです。私は何も考えずいつものように日本語学習の理由を質問したところ、その方は「日本人だから日本語を学ぶのはあたりまえですよ」と答えられたのでした。その不思議そうなお顔を目にし、「日本人である私が日本人であるご婦人になぜこのような質問をするのか」と内省し、いったい自分はこの場で何者なのかとアイデンティティの喪失を強く感じました。研究という営為に真摯に向き合う覚悟を問われた忘れられない出会いでした。
独立行政法人時代に取り組んだ研究課題は、「日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発」です。日本に暮らす外国出身者の増加等を背景に、地域社会に生きるために必要な日本語能力(生活のための日本語)を改めて明らかにし、日本語教育関係者に利用しやすい形で提供することを目指しました。「生活のための日本語」を明らかにするためには、日本語に接触する場面、日本語学習ニーズ等について情報収集し、実態を把握する必要があります。その一環として、全国規模の質問紙調査「生活のための日本語 : 全国調査」を実施しました。さらに、インタビューやダイアリー調査の質的調査も行いました。これらの調査の過程で出会ったのは、エスニックコミュニティの中心として長年同胞を支援している女性、専門学校を卒業後レストランの店長として日本人部下を指導している男性、日系IT企業で働く若いカップル、離婚をしようと悩んでいる女性等。そして、日本人が期待するレベルの日本語の使い手でなくとも、たくましく生きる様相を垣間見たことが次の博士論文の研究につながりました。
パキスタン出身者のエスニックビジネス等については、研究の蓄積があるのですが、多言語多民族国家から移住して来た彼らが日常生活でどのように言語を使い、社会にどのように参加しているのかに興味を持ちました。そこで、日本に暮らすパキスタン人家族の言語の使用と学習について量的・質的調査を行いました。研究の結果、日本の生活でも複数の言語を駆使し、日本語能力が低くとも社会的な活動には積極的である等の知見を得て、「成人教育(adult education)としての日本語教育」を提言しました。
今はどのようなことにご関心があるのですか
コロナ禍のなかでも日本で学び、働き、生活をしている外国出身の方々の言語生活に関心を持っています。日本語を含むさまざまな言語が飛び交うフィールドに通って、お話を聞いたり、看板やレストランのメニューなどの多言語景観を観察したりしています。
今後のご研究について教えてください
二つのことに取り組むつもりです。一つは、日本に住む人々の「言語レパートリー」(日常生活において使用・接触によって形成される言語的資源の総体)の研究です。日本語と外国語を使う外国出身の方々だけではなく、日本人も「標準語と方言」という多言語状況にありますから、日本人と外国人を区別せずに複数の言語(変種)の使用や接触を総合的に調査しようと考えています。もう一つは、文字学習の機会が少ない生活活者としての定住外国人が、文字社会の日本において行っている「よみかき実践」についての研究です。日本は、リテラシーについての議論が諸外国に比べてとても遅れているといわれていますから、日本人にとっても意義のある知見を得られるよう力を尽くすつもりです。
福永由佳
ふくなが ゆか●日本語教育研究領域 准教授。
金沢市出身。ウィスコンシン大学大学院で日本語教育学を学び、早稲田大学大学院日本語教育研究科で博士号を取得。国内外の教育現場で日本語を教え、1998年より国立国語研究所で日本語教育の教師研修や基礎研究などに携わる。2021年より現職。