Vol. 14-1 (2024年11月公開)

例えば、午後から出かけるのにお父さんに駅まで車で送ってもらいたいとしましょう。そこで、お父さんに直接、「今日は家にいるか」と話しかけることを考えてみてください。「いるか」に当たるところを皆さんはどのように言いますか。
「いる?」「いるの?」のように言う人が多いだろうと思います。「いますか?」のように丁寧語を使って言う人は少数派ではないでしょうか。「おられる?」「いらっしゃる?」のような尊敬語を使う人は、もっと少ないことでしょう。
ここで想定するお父さんは、「自分の父親」です。そんな身近な人に尊敬語を使うことは考えにくいですね。そんな言い方をしたら、急にどうした? 他人行儀な! とお父さんも戸惑うかも。でも、地域によっては、自分の父親に話しかける場合に尊敬語を使うのです。
図1をご覧ください。細かい説明は省略しますが、赤や青などのカラフルな記号で示した地域では、それぞれの地域における方言の尊敬語でお父さんに話しかけています。例えば、山陰では「オリナサル」、山陽では「オッテヤ」、四国では「オイデル」、南九州では「オリャル」のような尊敬語が用いられています。

(地図出典:「『方言文法全国地図』第6集 聞き手・第三者主体待遇表現 略図集」)
人間はグループをつくりながら社会を支えます。伝統的な地域社会におけるグループ構成のあり方は、「同族集団」と「年齢階梯制」の二つに大きく分けられることが知られています。同族集団は、その名の通り、血縁を中心としたまとまりです。一方、年齢階梯制は、同じような年齢層でまとまりをつくります。大まかには、東日本は同族集団、西日本は年齢階梯制が多いと考えられています。
年齢階梯制の社会では、成人と見なされる年齢に達すると家族から独立して年齢階梯制のグループに入ります。そうすると、親子であっても、地域社会の中では別のグループに所属することになります。
年齢階梯制社会では、社会の中で親子が分離していくため、家族サイズが小さくなります。反対に同族集団社会では、家族サイズが大きくなります。そのため、年齢階梯制社会は小家族制、同族集団社会は大家族制に該当します。
小家族制と大家族制は、国勢調査に基づく世帯別人数データで客観化できます。国勢調査における世帯は、生計を一にするまとまりですので、家族と同等に扱えます。
市町村ごとの世帯別人数の平均と、自分の父親に対する尊敬語の使用とを地図上に重ねると、世帯別人数が少ないところで自分の父親への尊敬語が使われていることが分かります(図2)。このことは、自分の父親への尊敬語は、小家族制、つまり年齢階梯制社会でよく使われることを意味します。

自分の父親に対して方言の尊敬語を使うのは、調査当時(1980年代初頭)、おおむね70代の主に男性です。彼らにとっての父と自分の関係は、親子といっても、保護者と小児の関係ではありません。地域社会の中での関係で把握することが必要です。年齢階梯制社会では、家族から独立した大人同士の関係になります。そうすると自分の父親であっても、社会的には近所の知り合いと同等に位置付けられます。
近所の知り合いに対して「いますか」と尋ねるときの言い方の分布を、自分の父親に対する言い方の分布と比べてみました(図3)。年齢階梯制の西日本において、その二つの分布がとてもよく似ています。自分の父親に対する地域社会での扱いが、ことばとして表層化しているわけです。

(地図出典:「『方言文法全国地図』第6集 聞き手・第三者主体待遇表現 略図集」)
お父さんに尊敬語を使ったら、他人行儀な感じで驚かれるかも、と述べました。それは、尊敬語には、聞き手との間に距離を置くという機能があるからです。
年齢階梯制社会における自分の父親に対する尊敬語は、まさにそれに当たります。親子であることは、いつまでも変わりありません。しかし、成人の自分にとっての父親は、社会的には異なるグループに属する人です。そう考えると、このような社会では自分の父親に対して尊敬語を使うことが理解できるでしょう。
少し視点を変えて、「お父さん」といっても、配偶者の父親に話しかける場面を考えてみてください。尊敬語を使うことにそれほど違和感がないのではありませんか。年齢階梯制社会の父と子は、この関係に似ていると考えれば分かりやすいかもしれません。
出典 : 大西拓一郎(2016)『ことばの地理学 ―方言はなぜそこにあるのか―』大修館書店、pp.97-112.