第27号(2006年4月1日発行)
このたび国立国語研究所では,研究報告書『言語行動における「配慮」の諸相』を刊行しました。これは,かつて当研究所が行った「敬語」に関する調査の報告書です。
2006年3月/くろしお出版/税込2,625円
国立国語研究所では,1948年の創立まもないころから,「敬語」を重要な研究課題のひとつと位置づけ,国民の敬語使用や敬語意識に関する研究を展開してきました。
地域社会での敬語については,愛知県岡崎市や秋田県・富山県の小集落において調査を行っています。職場の中での敬語については,ある企業内での社員間の敬語に関する調査を行っています。最近では,職場や地域社会で活動する前の世代である中学生・高校生を対象に,学校の中で生徒たちが敬語をどのように使い,意識しているかの調査を行っています。
敬語というのは,コミュニケーション場面において,相手や話題の人物など他者に対する「配慮」を言葉で表わすしくみと言えます。典型的には,尊敬語,謙譲語,丁寧語のような敬語専用の表現のことです。敬語研究と言うと,こうした表現の使用を研究対象としていると思われるかもしれません。実際,上に紹介した国立国語研究所の研究では,それも研究対象としています。
しかし,他者に対する「配慮」は敬語だけで表現しているかと言うと,どうもそうではないようです。
たとえば,パソコンの調子がおかしくなってしまい,機械に詳しい人に来て見てもらうとします。きょうの午後に来るよう頼む場合,「きょうの午後来い」と言う人はまずいないでしょう。では,「来る」を尊敬語に変えて「きょうの午後いらっしゃい」とすればいいかと言うと,これもやはり変です。確かに「来い」よりはましですが,どうも上から人を見下ろしているようで,丁重に接している感じはしません。これに対して「きょうの午後来てください」は,「いらっしゃる」や「おいでになる」や「来られる」のような尊敬語を使っているわけではないのですが,先ほどの「いらっしゃい」と比べるとはるかに丁重な感じがします。これはいったいどういうことでしょうか。
日本語では,自分の益となる行動を相手におこさせようとする場合,相手の行動を尊敬語で表現するよりも,それによって自分は恩恵を受けるのだということを表現すること,すなわち「~ていただく」や「~てくださる」あるいは「~てもらう」を付ける方が,はるかに相手に丁重に接していることが表現されます。
「~てくださる」は自分が恩恵の受け手のときの表現ですが,逆に恩恵の与え手のときは「~てさしあげる」となります。では,この表現は実際に使えるでしょうか。
たとえば,重い荷物を持っている人を助ける場合,「持ってさしあげましょうか?」は使えそうです。しかし,どこか恩着せがましさが感じられます。相手が会社の上司の場合はさらにそのニュアンスが出てしまい一層使いにくいのではないでしょうか。むしろ「持ちましょうか」の方がいいくらいです。
こうした「やりもらい」の表現は,日本語において敬語と同様に,あるいは場合によっては敬語以上に,相手に対する配慮の表現として機能しているようです。
相手に対する配慮として機能している表現は他にもありそうです。たとえば会社で,コピーを取ってきてくれるよう頼む場合を考えてみましょう。それを仕事のひとつとしている人に対してであれば「コピーとってきて」と単刀直入に言えるかもしれませんが,そうでない人に頼む場合は,「ちょっと今忙しくてさ,悪いんだけど,コピーとってきてくれないかな?」のように,理由を述べたり,詫びを言ったり,文末を相手の可否を問う表現にすることを日常的に行なっています。考えてみればこれらも,相手に対する配慮を言葉で表したものと言えます。
相手から善意で何かを勧められてそれを断るということは日常よくあります。そのようなとき,「結構です」とか「いりません」のようにはっきり言うことを避けて,「あっ,でも,ちょっと…」のように,断りの核心にあたる部分はあえて言わずあいまいにぼかすことを私たちはよく行なっています。相手との関係を考慮してのことです。
その一方で,相手から重要なことを頼まれてそれを断るような場合は,「あっ,でも,ちょっと…」のようなあいまいな言い方だと相手に十分意思が伝わらずかえって迷惑をかけることがありうるため,「あっ,でも,○○なので,申し訳ないんですが,ちょっと無理です」のようにあいまいでない言い方をすることもよくあります。
同じ「断る」という状況でも,はっきり言わないことが相手への配慮である場合と,はっきり言うことが相手への配慮である場合とがあるようです。
このように,相手に対する配慮は,敬語だけでなく,いろいろな表現によって実現されています。
もっとも,これらには共通する特徴も認められるようです。一言で言えば「相手を尊重する」「相手をたてる」ということです。「敬意」と言い換えてもいいかもしれません。
ところが,それらとは根本的に異なる発想に基づく「配慮」もありそうです。それは,「相手に近づく配慮」「フレンドリーになる配慮」とでも言える配慮です。
若者がよく使うタイプの表現に「話とかしたよ」「ダメみたいなこと言われて」のようなあいまいな表現があります。これらは,仲間うちの言葉として,相手との心理的距離を縮めたり会話を促進する機能を持っていると言えます。距離を置かない親密な関係を築いたり確認したりするという配慮で使われている表現と言えそうです。「敬意」というよりも,もっと広い概念である「配慮」と呼ぶのがふさわしい表現のひとつです。最近よく聞かれる「いいっすよ」のような表現も,一応「です」を付けて敬意を表わす一方で,「です」を「っす」と崩すことで相手に少し接近するわけです。近づくことの配慮が現れた表現のひとつと言えそうです。
このように,他者に対する「敬意」や「配慮」が敬語だけで実現されているわけではないことについては,敬語研究でも最近注目されるようになってきました。
こうした研究動向を受けて,国立国語研究所では,「敬意」や「配慮」が日常の言語生活の中でどのように実現されているか,それには地域差や年齢差や性差があるのかないのかを明らかにすることを目的とする調査を実施しました。調査は,1996年から1998年にかけて,仙台市・東京都・京都市・熊本市の市民432人を対象に面接調査の形で行いました。他者に依頼する場面や,断りを言う場面など,いくつかの場面を想定させて,回答者自身ふだんどのように言っているかを発話の形で回答してもらいました。また,特定の表現に対する意識なども尋ねています。高校生には,面接調査とは別にアンケート調査も実施しました。それらの結果を分析したのが本書『言語行動における「配慮」の諸相』です。
その中からひとつ紹介しましょう。
たとえば,相手から頼まれたり勧められたりしてそれを断るとき,「無理です」とか「できません」のような,断っていることを明示的に示す表現を使った回答者の割合は次のグラフのとおりでした。役員を引き受けるよう頼まれて断る場合は数値が高くなりますが,食事を勧められて断る場合は数値が低くなっていることがわかります。
本報告書は,私たちが毎日の生活の中で他者への「配慮」をどのように行ったり意識しているかについて数量的にその傾向を知るための有益な情報源となっています。
(尾崎 喜光)
『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。