ことばの波止場

Vol. 1 (創刊号 2017年3月発行)

特集 : 外国人の生み出す日本語の研究

PROJECT06 日本語学習者のコミュニケーションの多角的解明。石黒圭

日本人の知らない日本語

日本語について書かれた本のベストセラーに『日本人の知らない日本語』があります。日本語学校で外国人に日本語を教える日本語教師「なぎこ先生」の奮闘を描いたコミックエッセイです。この本がベストセラーになった当時、多くの日本語教師はびっくりしました。そこには、日本語教師にとって、あまりにも当たり前の内容が書かれていたからです。

この本には、たとえば、ヘビを「1本」を数える中国人留学生が出てきます。細くて長いものを「1本」と数えることを「なぎこ先生」に教わったからです。ヘビは生き物なので「1匹」と数えるわけですが、中国語では川もヘビも同じ「条」で数えます。

こんな光景は、私たち日本語教師がよく見かけるものですが、一般の日本人には目から鱗なのかもしれません。日本語という言語の性格は、日本人の目からは見えにくく、日本語を学ぶ外国人の目をとおして初めてよく見えてくるのです。

国立国語研究所の日本語教育研究領域では、学習者コーパスというものを構築中です。学習者コーパスは、外国語として日本語を勉強している人が話したり書いたりしたものを集めたデータベースです。まさに「日本人の知らない日本語」の宝庫です。

日本語の難しい発音と文法

たとえば、世界各国の日本語学習者の言葉を集めた「I-JAS 多言語母語の日本語学習者横断コーパス」を見てみましょう。

私のなかでは「病院(びょういん)」という発音が留学生に難しい印象があります。「美容院(びよういん)」と似ているからです。I-JASで調べ てみると、予想どおり、病院を「びよういん」と言ってしまうトルコ人が見つかりました。そのほか、「びょうひん」と言ってしまうフランス人、「びょいん」「びょうえん」と言ってしまう韓国人、「びよいん」「びょいん」と言ってしまうタイ人、「じょういん」と言ってしまうオーストラリア人などがいることがわかりました。万国で「病院」の発音と戦っている学習者がいるわけです。

発音だけでなく、文法も日本語学習者にとって難しいものです。学習者の頭のなかでは「だと思う」がセットになっているため、何にでも「だと思う」をつけてしまいます。ドイツ人「いいだと思う」、ベトナム人「なりたいだと思う」、韓国人「忙しいだと思う」、トルコ人「難しいだと思う」、スペイン人「おいしいだと思う」、ハンガリー人「美しいだと思う」、インドネシア人「悪いだと思う」など、枚挙に暇がありません。発音でも、文法でも、学習者が共通して苦手とする部分は誤用として現れます。この誤用こそが日本語教育のキモなのです。

広がる学習者コーパスの和

日本語教育研究領域では、この「I-JAS」のほか、学習者と母語話者の会話を集めた「BTSJ日本語会話コーパス」、学習者の母語による文章理解を示した「日本語非母語話者の読解コーパス」、学習者が教室で学び合う様子を文字化した「教室談話コーパス」など、多様なコーパスを整備し、外国人の生み出す日本語を研究することで、日本語教育の現場に役立つ知見を提供することを目指しています。

日本語の習得研究ウェブサイト

PROJECT06 日本語学習者のコミュニケーションの多角的解明「外国人の生み出す日本語の研究」

特集:国語研では、いま、何を研究しているのか? 始動する「最先端基幹プロジェクト」

石黒圭
ISHIGURO Kei
日本語教育研究領域 教授。専門領域は日本語学、日本語教育学。一橋大学国際教育センター・言語社会研究科教授、人間文化研究機構国立国語研究所准教授を経て、2015年12月から教授。