国語研の窓

第29号(2006年10月1日発行)

研究室から:『方言文法全国地図』の30年

『方言文法全国地図』とは

1976年の計画開始から30年。このほど,2006年3月に『方言文法全国地図』全6巻が完成しました。

『方言文法全国地図』は,方言の文法に関する全国的な分布を明らかにすることを目的とする方言地図集です。全国807地点を対象とし,合計350枚の地図から構成されています。

国立国語研究所は,設立当初から,日本語の方言を様々な方法で研究してきました。中でも大きな仕事として知られるのは,1974年に完成した『日本言語地図』全6巻です。この300枚からなる地図集の刊行が日本の方言研究界に与えた影響は多大で,方言分布の研究レベルを大きく引き上げることになりました。一方で,『日本言語地図』は,おもに「つらら」「かたつむり」のような語彙(ごい)を対象とした地図集であったところから,文法に関することがらの分布を明らかにすることが期待されました。

それを受けて,文法事項の調査計画が立てられ,1977年に準備調査,1979年から1982年に本調査を実施しました。調査終了後,『方言文法全国地図』第1集が1989年に刊行,以後,17年の歳月をかけて,完結に至ったものです。

方言地図としての特徴

『方言文法全国地図』の特徴は,徹底した資料地図という点です。

一般に,方言の分布を表す方言地図は,作図者の意図を強く出した解釈地図と,データの提示に重点を置いた資料地図とに分けられます。『方言文法全国地図』は,後者に分類されるものです。しかし,編集者自身が言うのも変ですが,『方言文法全国地図』は,並の資料地図ではなく,一律の基準で資料を提示する方針を貫き通した,筋金入りの資料地図です。

方言地図の作成においては,以下の3段階が基盤となる編集作業です。

調査データから地図に掲載する語形の採否を決めるのが第1段階です。資料地図だからと言って,何でも地図に挙げるわけではありません。この点,誤解されることが少なくないので,留意いただきたいところです。それぞれの地図のねらいにおさまる回答の範囲を決めるのが,この作業です。

採用する語形が決まったら,一定の手順で語形をまとめていきます。これが第2段階の作業で,「語形の統合」と呼んでいます。この手順は,基本的に地図集全体を通して,共通しています。この作業で,対象とする項目において,地図上に挙げるすべての語形がリスト化されることになります。

語形の統合により整理された各語形に地図の記号を与えます。これが第3段階です。『方言文法全国地図』では,類似した語形には類似した記号を与えることを基本方針としています。

以上の作業手順のほぼすべてを,地図に付録する解説書に記載しています。同時に解説書には,調査時に得られた回答データ(原資料)も「資料一覧」として,収録しています。

つまり,調査の原資料,そこからの必要なデータの選択,選択したデータの整理手順,整理したデータの記号化方法,以上のすべてを公表しているわけです。ここまで手の内を明かしている方言地図は,世界中どこにもないと思います。このような方法をとったのは,地図化の結果に追試可能な性格を持たせたからにほかなりません。つまり,科学的手法で方言地図を作成するための必然性なのです。さらに,後で述べるように,原資料と整理済みのデータは,電算化した形での公開も行っています。

地図化の方法

さて,データの整理が済んだら,いよいよ地図の作成です。第4集までは,これを手作業で行っていました。研究室では,独自のハンコを利用して,白地図の上に押印し,紙の原稿地図を作成します。

地図化の方法

これを印刷所に渡すと,校正刷りにあたるフイルムが出来上がってきます。このフイルムを原稿地図と照合し,間違いがないか,確認します。照合(校正)は,投射台という巨大なライトボックスの上に原稿地図とフイルムを重ねて行います。以上の原稿地図の作成と校正は,『日本言語地図』時代からの技能を身に付けている白沢宏枝さん(元研究所員)が行ってきました。彼女は,おそらく,世界で最も多くの方言地図を作成した人になると思います。

第5集からは,コンピュータによる地図作成が実現しましたが,一方で草稿や一部の原稿地図では手作業の地図も作成しました。コンピュータの場合,入力ミスはそのまま原稿になってしまいます。手作業地図とコンピュータ地図を照合することで,ミスが減らせます。このような複数の目によるチェックは,先に記した採否・統合といった編集作業でも行ってきました。このことで,万全とまでは言えませんが,かなり誤りを少なくすることができたはずです。

公開データ

調査で報告された各語形,その採否・統合の結果は,比較的簡単な形式のデータに整備して,次のウェブサイトで公開しています。

  http://www.kokken.go.jp/hogen

公開データでも,かなり細かいレベルで語形が扱えるようになっています。このことにより,多角的な研究が可能です。いったん,大まかに整理されてしまったデータは,元に戻すのに大きな困難が伴うからです。

関わった多くの人々

30年かけて完成した『方言文法全国地図』は,実に多くの方々の協力のたまものです。各地の方言話者の方901名,調査を担当された方93名,編集に携わった研究者15名,作業を補助いただいた人も相当な数です。研究所内外の様々な方と力を合わせることで,完成に至りました。

編集においては,精密さを心がけたために,並々ならぬ苦労をかけ,神経をすり減らした方もいらっしゃるかも知れません。おわびするとともに,皆さんに,心より感謝申し上げます。

***

この地図集をもとに,すでに多くの研究が生まれてきました。今後,さらにどう活用していくべきか,12月に開催する公開研究発表会 (8ページを御覧ください)は,皆さんとともに考える良い機会になると期待しています。

(大西 拓一郎)

 

読んでしまった 『方言文法全国地図』第4集205図より

『国語研の窓』は1999年~2009年に発行された広報誌です。記事内のデータやURLは全て発行当時のものです。