方言には共通語と違う発音がいろいろあるようです。どのような発音の違いがありますか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
現在では共通語化の影響で次第に消滅しつつありますが、もともと日本語方言の音声にはずいぶんとバラエティがありました。例えば、共通語の「セ」「ゼ」を「シェ」「ジェ」と発音する方言、単語の中の濁音が「ンダ」「ンバ」のように鼻にかかる方言、「キ」が「チ」と発音される方言、母音が基本的には「ア、イ、ウ」の3種類だけの方言など様々です。また、撥音(ン)や促音(ッ)の長さが短くて、ほかの音と同じ長さには感じられない方言などもあります。
方言音声の問題を考える際に大切なことは音声と音韻を分けて考えることです。音声とは耳に聞こえる実際の発音のことを言い、音韻とは話し手の頭の中にある発音の区別の体系のことを言います。例えば出雲地方の方言では、単語の最初の「エ」は、共通語の「イ」に近い音になります。その結果、「駅」と「息」がとても似た発音になりますが、出雲方言の話し手はこの二つの単語の発音をはっきり区別しています。「イ」と「エ」が区別されているという点では共通語と違いはありません。この場合、出雲方言の「エ」は音声としては共通語と異なっていますが、音韻としては共通語と同じです。
一方、出雲方言や東北の諸方言の伝統的な発音では「シ」と「ス」、「チ」と「ツ」、「ジ」と「ズ」の間に音韻の区別がありませんでした。これらの方言では「染み」と「墨」、「父」と「土」、「家事」と「数」などは、いずれも同音異義語です。音韻体系そのものが共通語とは異なっているのです。この場合、方言の話し手は共通語における「シ」と「ス」などを聞き分けることが難しくなります。これは日本人全般が英語のアール(r)とエル(l)の区別に苦労するのと同じ現象です。
共通語には存在しない音韻の違いが方言に存在する場合もあります。やはり出雲方言から例をあげると、「家事」は「カジ」、「火事」は「クヮジ」と発音されます(「クヮ」はkwaの音です)。実は「クヮ」という発音は、中世の日本語では音韻としていったん確立されたのですが、東京方言を含む多くの方言では、その後時代の変遷とともに失われてしまったのです。このように方言の音声には古い時代の日本語の発音が残存していることがあります。
以上は一つ一つの音、つまり子音や母音の特徴でしたが、単語を発音する際の声の高さに関する決まり、つまりアクセントにも方言差があります。アクセントは子音や母音に比べると共通語化に根強く抵抗しており、現在でも各地でかなりのバラエティが観察されます。
アクセントにも音声と音韻の区別があります。音韻としてのアクセントを調査するもっとも簡単な方法は、「牛」「空」「山」など2拍(おおむね仮名2文字)の和語の名詞に何種類のアクセントがあるかを調査することです。下の表は、そのような調査の結果を簡略にまとめたものです。東京方言の2拍名詞には3種類の区別しか存在しないことがわかります。京都には4種類の区別があり、鹿児島には2種類しかありません。これは、音韻としてのアクセントが方言によって相違していることを示しています。
平安時代の京都方言(当時の標準語)では2拍名詞に5種類のアクセントが区別されていたことがわかっています。このうち一部が時代の変遷とともに失われてゆくことによって、上に述べたような現在の方言アクセントが生じたのだと考えられています。
(前川喜久雄)