自閉症の人は方言を話さないと聞きました。これは本当ですか?

どうやら、本当のようです。私がこの話を最初に聞いたのは、青森県津軽地域で乳幼児健診に心理士として関わっている妻からです。妻によれば、自閉症の子どもは津軽弁を話さないというのです。最初は「そんなことはないだろう」と思いました。しかし、調査を進めるにつれ自閉症の人々が方言を話さない傾向はあるということがわかってきました。ただし、今では「自閉症」「アスペルガー障害」「広汎性発達障害」は、共通の特性をもっているということで「自閉スペクトラム症(ASD)」と呼ばれるようになりました。障害の色合いはさまざまです。方言不使用の現象は、その診断がある方全員に見られるわけではありません。
私の行った調査について説明します。まずは、現代でも方言が多く使われている青森・秋田・京都・舞鶴・高知・北九州・大分・鹿児島をピックアップしました。特別支援教育に関わる先生に対して、地域の子ども・知的障害の人々・ASDの人々の方言使用についてアンケートを行いました。その結果は、すべての地域の先生が「ASDの人々は方言を話さない」という印象を持っていることが明らかになりました。また、国立特別支援教育総合研究所の専門研修に全国から参加された先生に実施したアンケートでも同様の結果が得られました(図1)。

しかしこれはあくまでも印象でしかありません。私は、ASDの人でときに見られる一本調子な話し方や独特のアクセントが、方言を使わないという印象を生んでいるのかもしれないと考えました。もう少し具体的に迫る必要があります。
そこで次は、方言(津軽弁・土佐弁)とそれに対応する共通語リストを作り、青森と高知の特別支援学校の先生にお渡しし、各生徒がそれらの単語を話しているか尋ねました(表1、表2)。結果は、両地域とも、ASDの生徒はその特徴を持たない生徒に比べて方言語彙を話していないことを示しました。単に、話し方の音声的特徴のせいではないようです。
表1 : 青森で調査に使用した語彙リストの一部
| 津軽弁 | 共通語 |
|---|---|
| わ | わたし/おれ |
| かっちゃぐ | ひっかく |
| かます | かきまぜる |
| ける | あげる/やる |
| こちょがす | くすぐる |
| ちょす | 触る/いじる |
| なげる | 捨てる |
表2 : 高知で調査に使用した語彙リストの一部
| 土佐弁 | 共通語 |
|---|---|
| (水が) まける | (水が) こぼれる |
| しゆう | している |
| しちょった | していた |
| まっこと | ほんとうに |
| だれる | つかれる |
| ひやい | さむい |
| どっぱー | どのくらい/どれくらい |
この結果を学会で発表すると、研究者からさまざまな解釈が寄せられましたが、どれも方言語彙を使わないことをうまく説明できません。
そのような中、ある方言学者から [方言の社会的機能説] に基づく解釈が出されました。人は相手との心理的距離によって言葉を使い分けている、方言を使う社会では親しい人には方言を見知らぬ人には共通語を使う、心理的距離が理解しにくいASDの人々は言葉の切り替えがうまくできず一律に共通語を使ってしまうのではないか、という説です。しかし、もともとは乳幼児健診での話でした。この解釈をあてはめるなら、定型発達の3歳児の多くが相手との心理的距離によって言葉を使い分けられることになります。これには違和感が残りました。
そこで出てきたのがメディアからの言語習得説です。京都在住のAくんは、家族全員が関西方言なのに本人だけは完璧な標準語を話していました。ご家族の話や育児記録からは、DVDやビデオを繰り返し見てセリフを丸覚えし、次第にそのセリフを組み合わせて生活場面に取り入れるようになったことが伺えました。また、もう一人。日本人の両親の元で育ちながら幼児期はほとんど英語しか話さなかったBちゃんは、YouTubeの動画や英語学習アプリが発話の元ネタになっていました。二人ともASDの診断を受けています。
世界に跳びますが、アイスランドには「若いASD者はアイスランド語よりも英語を好んで話す」、アラビア語圏では「学校で学ぶはずの現代標準アラビア語を顕著に身に付けているASD幼児がいる」というトピックスがあります。アイスランド語と英語、口語アラビア語と現代標準アラビア語、津軽弁と共通語。いずれも人々が日常話している言葉とメディアで優位な言葉にズレがある地域です。このような地域では、ASDの人の中にメディア言語を優位に使う人がいるという印象を、ASDに関わる人々はもっているようです。
しかし、言語学の先行研究は、言語習得には人とのやりとり(社会的相互作用)が重要だ、単にメディアを見せただけではその言葉を学習できない、ということを示してきました。言語学の通説のようです。メディアからの言語習得はあり得ない話なのでしょうか。
これについて私は次のように考えています。
定型発達、いわゆる“健常”と言われる人は、表情・視線・声・身振りやその変化に注意を向けてしまうという“特性”を持っています。その特性をベースに人との自然なやりとりの中で言葉を学びます。しかしASDの人々は表情・視線・声・身振りに自然に注意を向けることができず、やりとりを通じた言語の習得がうまくいかない。その代わりに自分が興味を持ったメディアコンテンツを繰り返し視聴し言葉を学んだのかもしれません。
日本の方言主流社会、アイスランド、アラビア語圏では、日常言語とメディアで優勢な言語に違いがあります。このような言語環境の下では、ASDと定型発達の人々の言葉の学び方の違いが、「方言を話さない」「英語を好んで話す」「現代標準アラビア語を顕著に習得している」という印象を生むことになったのでしょう(図2)。

一方で、共通語を話していたASDの人の中に、方言を話すようになった方もいます。方言を話すようになった頃に、他者への興味関心が芽生え、他者との親密度が深まり、社会的スキルの発展が見られました。ASDの人であっても、やりとりを通じて周囲の言葉を使うようになる場合もあるようです。
ASDの人のメディア言語優位性は、障害特性、日常言語とメディア言語の二重の言語システム、それに操作容易性・応答性をもったメディア機器の進化やスクリーンタイムの増加などが関わっているのでしょう。
ASDの人々が方言を使わないという現象の背景にはこのような複雑な要因が絡んでいると思われます。