私の出身地では、家族や赤ちゃんのことを話すときに尊敬語を使うのですが、これは間違った言い方なのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
共通語では、自分の家族の行動を他人に対して話す場合に、尊敬語を用いずにへりくだらせるという敬語のルールがあります。例えば、子供が父親について他人に述べるときに、
おとうさんはもうすぐお帰りになります。
のように尊敬語を用いることは不適切で、
父はもうすぐ帰ります。
のように尊敬語を用いないのが適切な表現だとされています。
このように、たとえ目上であっても、話し手側の人物(身内)のことを他人に述べる場合には、その人のことを高めてはいけない、というのが、現代日本語の共通語の敬語運用規則です。
ところが、他人に身内のことを話す場合にも尊敬語を用いる地域が多くあります。例えば、関西では、軽い尊敬を表す「ハル」を使って、
おとうさんはもうすぐ帰らはります。/帰りはります。
のように、また、山口などでは尊敬の「テジャ」「チャッタ」を使って、
おとうさんが言うてじゃ。/おとうさんが言うちゃった。
のように言います。
このような、共通語にはない敬語法の身内尊敬用法は、沖縄・鹿児島から愛知・岐阜・長野、日本海側では新潟あたりまで、主に西日本に広く分布しています。
ただし、近畿の大都市の若い世代では、共通語の影響を受けて、身内尊敬用法を使用しなかったり、この用法自体を知らなかったりする人も増えてきているようです。
身内のことに同じように「ハル」を使う地域でも、京都と大阪ではその運用や意味に差があることを示す調査結果があります(図)。父親や赤ちゃんの行動について「ハル」を使う人は、大阪よりも京都の方がかなり多くなっています。また、京都の女性は男性よりも「ハル」を多く使う傾向にあるようです。
さらに京都では、子供が友達の意地悪をうったえて、
けんちゃん、いけずしはんねん(意地悪をするんだ)。
たたいてきはんねん(たたいてくるんだ)。
と言ったり、親が自分の子供のことを
この子、よー 泣かはりまっしゃろ(泣くでしょう)。
と言ったりすることがあります。また、
雨、よー降らはりますなあ(降りますねえ)。
のように、天気や、時には動物の行動など、ふつう敬語を使わないものにまで「ハル」をつけるという特徴があります。
敬語の使い方について、共通語と方言は違ったルールを持っています。また、方言によってもルールは異なっています。その地域にはその地域方言独自の体系、運用の仕組みがあります。共通語とは使い方が異なっていても、それぞれの地域方言では、それが「正しい」使い方だと考えることができるでしょう。
(井上文子)
図の出典 : 岸江信介 (1998)「京阪方言における親愛表現構造の枠組み」『日本語科学』3、国書刊行会 より作図