学校のクラスは「くみ」? それとも「ぐみ」?
朝、小1の息子が私に、「ねえねえ、小学校って変なんだよ」と話しかけた。
「何が?」と私。「だってさ、保育園のときは、『ほしぐみ』とか『はなぐみ』とか、『ぐみ』って言うじゃん。でも、小学校は『いちくみ』『にくみ』って『くみ』なんだよ」と息子が言う。それはね、と私は得意げに話そうとしてハタと困った。一瞬なんとなく、前の音に影響されて清濁が決まるのだと思ったのだ。しかし同じ「な」であるにもかかわらず、「7」は「ななくみ」と濁らないが、「はな」は「はなぐみ」と濁っている。たしかに……なぜだろう、説明ができない。
ちょっとおもしろかったので、自分のTwitterのアカウントに書いてみた(現在は「X」だが、普及の度合いと、当時はTwitterだったことから、ここでは「Twitter」と表記する)。
そしてバズったのだ。最終的に「83,000いいね」がついたのだ(画像では82,000になっている)。いくつかコメントを見てみたい。
失礼します。
アルファベットも
A組(ぐみ)B組(ぐみ)なんですが、宝くじはA組(くみ)…
ひらがなも
め組(ぐみ)ですね。
(https://twitter.com/naotaro_nihongo/status/1565547841325391872 から引用)
と、アルファベットにすると「くみ」の場合も「ぐみ」の場合もあるという現象の報告。
幼稚園の頃と、中高がアルファベットだったんですが、AくみBくみと言っていました!
でもあれですね、金八先生は3ねーんBぐみーって言ってますね…
個人的にA〜Dは「ぐみ」でもしっくりくるんですが、F以降は「くみ」じゃないとなんだか変な感じがします…不思議…
(https://twitter.com/noise_maki12/status/1565897737769750528 から引用)
金八先生は「ぐみ」だったということを思い出す人も。
またしばらくすると「複合語」だからではないのか、という視点が生まれる。
他の方もおっしゃってますが、助数詞としての「組」のときに「くみ」、が正解っぽそうですね。
助数詞のときの「くみ」は尻下がりに発音されて、それ以外は複合語として扱われるから尻上がりに発音されて自然と「〜ぐみ」になる。
(https://twitter.com/Mr_Rappy/status/1565559820543209472 から引用)
しかし、そうしたまとめになった瞬間に、
数字でも
千、万、億、…の後に続いたら
ぐみになりそうですね
(https://twitter.com/ryuto_770/status/1565607440665653248 から引用)
と、数字でも大きな数になると「ぐみ」になることが見られる話が提示。
このように、考えが浮かんでは新たな反証が入り、という形が取られて新たな参加者を生みながらゆるやかに議論が進んでいった。
さて、こうした議論の中で、(専門家の意見のツイートもふまえて)見えてきたのは、この話の根底にあるのは「連濁」の話である。上のツイートの中にも出てきたが、つまり、「本来二つの語」であったものが結合して一つの語となると、結合した後ろ側の語の最初の音が濁音化するというものである。だからもともとの「はなぐみ」という保育園の名称は「はな+くみ」で一つの語になり、「ぐみ」になるのだ。
しかし残るのは、「①数字だと『くみ』になるのはなぜ?」という問いと、「②数字でもアルファベットでも場合によっては『ぐみ』になることがあるのはなぜ?」という疑問である。
ここで考えてみると、①については、「学級」の場合、「クラス数を数える」という発想が生まれやすいのではないだろうか。つまり、「1組」「2組」の数字はあくまで「数える」という「数詞」意識が働くために「名詞の複合」という発想になりにくいということである。小学校の場合、保育園と違ってより鮮明に「学級」の上に「学年」という要素が入る。そのため「1年生の第1学級(1年1組)」「1年生の第2学級(1年2組)」と「数える」に重きがおかれやすい。
ところが保育園のような「はなぐみ」「ほしぐみ」の場合は数字でクラスが作られていない。そのため、もともと「数え」の発想が働きにくいのかもしれない。保育園も学年の発想はある。しかし幼児教育、就学前教育の文化と目的から、系統的な管理の発想が弱く、結果的に「クラス個別」という単位で見る発想になりやすいのかもしれない。
すると、②についての謎も解けてくる。つまり「アルファベット」の場合も「数える」行為で捉えられやすい場合は「A組」「B組」も「くみ」となるのではないだろうか。宝くじが「くみ」となるのは明らかにそこには「数える」行為が入っているために、二つの語は結合していないのだ。(ちなみに「万」「億」が「ぐみ」になりやすいのは、ここには「数える」よりも単に「大きい数」という意味がとられやすいため、結合して連濁するのかもしれない。)
「2年A組」の場合はどうだろうか。この場合はやはり「くみ」となることが多いのかもしれない。しかし金八先生は「Bぐみ」だ。恐らく金八先生の場合「B組」しかフォーカスがあたらず、他のクラスを数えたり意識したりすることが希薄なのではないだろうか。だからこそあれは単体の「Bぐみ」なのでは……とも考えたが、これは言い過ぎだろうか。連濁の問題だけでなく、ここには学校の制度や文化、クラスの捉え方や位置づけ方の問題が入り込んでいるのかもしれない。
ともすると「炎上」ばかりが話題になるTwitter。しかしこういうふうにみんなが一生懸命考察を展開するのは美しく、熱い。こんな深い流れを生んだ小1の息子には、ぜひこれからも問い続けてほしい。
(ちなみに、1週間後に上のような話で答えたら、一言、「ふーん」だった。熱は冷めるもの。)