このごろ、「地味に」の使い方が以前と変わってきているように思いますが、どうなっているのでしょうか。

みなさんは「地味に目立つ色」とか「地味に目立つ花」というと、違和感をおぼえるでしょうか。国語辞典には、「地味」とは「形や模様などにはなやかさがなく、目立たないこと」と書かれています。「地味」と「目立つ」がこのように共存する言い方は、一見矛盾するようにみえますが、最近、このような「地味」の使い方が広がってきているようです。ここでの「地味に」は、従来の、〈はなやかさがない〉という【様態】を表すはたらきに加え、〈(目立ち方の)程度が大きくない〉という【程度】を表すはたらきももつようになっているところが変化のポイントだといえます。日本語学の世界では、「地味に」の従来のようなはたらきを「様態副詞」、新しいはたらきを「程度副詞」といったりします。

上記の文では、「地味に」がこの2つのはたらきの両方を兼ね備えているということができるでしょう。結果として、〈はなやかさはなく、大きく目立ちはしない〉が、その色や花に確かな存在感があることを表し得ています。
文化庁の「令和2年度国語に関する世論調査」(2021年公開)では、〈騒ぐほどではないが確かに〉の意味で(1)のような「地味に」を「使うことがある」とした人が全体の39.8%だったそうです。
この「地味に」も、〈騒ぐほどではない〉という痛みの【程度】を表しており、「程度副詞」のはたらきをもっています。興味深いことに、これを使うと答えた人は30代以下では80%を超え、年齢の低い世代から「程度副詞」としての使用が広がっていることがうかがわれます。
筆者がこのタイプを国立国語研究所の『現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)』で調べてみたところ、既に2005年頃に次のような用例がみられました。(2)では「ショック」、(3)では「忙しさ」の【程度】を表しています。
コーパスをさらに調べると、【程度】とも【様態】とも少し異なる、次のようなタイプも見つかりました。
(4)と(5)の「地味に」は、文脈からみると、その後にくる「アルカリ性」や「長期休養明け」の【程度】や【様態】についての情報を付加しているわけではないようです(たとえばアルカリ性か酸性かの度合いを示すpHの高さを問題にしているわけではない)。つまりこの場合、「地味に」のはたらきは、「アルカリ性」と「長期休養明け」を限定(文法用語で「修飾」)しているのではないということです。
では、何のはたらきをしているのでしょうか。(4)や(5)の「地味に」は、その事実を話し手(書き手)がどう捉えているかを表していると考えられます。具体的には、「野菜はアルカリ性である」「アドマイヤタイトル(競走馬)は長期休養明けである」という事実を、話し手が〈目立たず、認識されにくいもの〉として提示しているということです。このような【話者の捉え方】を表すはたらきをもつ副詞は、その文を話者がどのような見方で述べるかということに関わることから「陳述副詞」と呼ばれることがあります。文全体を修飾していることから、「文副詞」とも呼ばれます。

「陳述副詞」や「文副詞」としてのはたらきは、このタイプの副詞の典型である「きっと」「明らかに」などと並べてみるとわかりやすいでしょう。
このように、「地味に」の新しい用法として、「程度副詞」のほか「陳述副詞」も登場しました。中には、程度の高さを表す「一番」「すごく」「かなり」など、「様態副詞」や「程度副詞」の「地味に」ならば意味的に矛盾するような語と共起する例もあります。
こうした用法の延長に、広告や作品のタイトル等でも「地味にすごい○○」という表現をよく聞くようになりました。そこには、一見すると〈目立たず、認識されにくいもの〉の真価に目を向けようとの思いが込められているといえるでしょう。
最後にもうひとつ、この「陳述副詞」の興味深い用法にふれておきたいと思います。次のような「地味に」は、話し手が自分の見方や提案などを示す場面で、自己主張を和らげ、控え目に述べるはたらきをもっているようにみえます。
(14)は、強調表現「すごく」を使い、「好き」という感情が最高レベルであることを表明する一方で、「地味に」を付加し、〈目立たず、認識されにくいもの〉という述べ方をしています。そこには、感情のストレートな表出を回避し、控え目に表現したいという話し手の心理が垣間見えるようです。(15)でも、その「マンガ」は間違いなく話し手にとって好ましい、おすすめの対象ですが、「地味に」を付加することで、自身の嗜好に他者を引き込むことの押し付けがましさを回避しているようにみえます。(16)は、話し手の「ブログ」が記念日を迎えたことについて、「地味に」を付加することで、わたくしごとを控え目に表現しているように思われます。

このように「地味に」は、従来の「様態副詞」から、「程度副詞」や「陳述副詞」の機能を派生させ、それが自己主張を和らげる控え目な表現としての機能をももつようになったとみることができます。若い世代を中心にこのような用法が広がったのは、自分の感情や自分の領域にあるものごとを、ストレートに表現する押しつけがましさを避けたいという、日本(語)的心理によるものかもしれません。