「1ミリも興味がない」のような言い方を最近よく耳にしますが、どういう意図があるのでしょうか。
「1ミリも~ない」は「ない」を強調するときに使われる表現です。「1ミリ」の長さや量を表すものではありません。
みなさんは「ない」ことを強調するときにどのような表現を使いますか。「ない」単独ではなく、「少しも」「全然」「絶対」など先にことばがあって、それらとセットにして「ない」を強く表現することがよくあります。「1ミリも~ない」も否定を強調するときの表現で、話しことばを中心に使われています。
「1ミリも~ない」は否定の表現です。否定の中でも少し(の否定)ではなく、すべてを否定するものです。「ない」ことを強く述べるときに使います。
「私のことなんてどうでもいいんでしょ」とか、「私に1ミリも興味ないよね」などと言い出す。(黒川伊保子『妻のトリセツ』)
「こんなモンでは俺の心かて1ミリも動かんわ!」(天王寺大、郷力也『ミナミの帝王』)
これらの例にあるように、まったく興味ない、動かないときに「1ミリも~ない」と表現します。大人気アニメ『名探偵コナン』(読売テレビ・日本テレビ系)第675・676 話放送回(2012年)のタイトルは「1ミリも許さない(前編/後編)」でした。夫婦喧嘩で正当防衛を装って、夫が妻を刺すという事件です。どのような理由があっても許されない行為ですね。「1ミリも~ない」の典型的な使い方です。「許さない」ことを強く表現しています。タイトルで使われるくらい周知されるようになった表現であるといえます。
強調することばだということはわかりましたが、「1ミリ」は意味があって使われているのでしょうか。新聞の例をご覧ください。
でも、背は1ミリも伸びず、試験には落ちてしまいました。(朝日新聞 1985年6月1日朝刊)
同庁の観測では、群馬県の水源地付近では、4日以降、雨量は1ミリも記録されていない。(朝日新聞 1990年8月6日夕刊)
身長や雨量などを実質的に測っている例です。ただし、ここでは1ミリには満たないけれども1ミリ以下では伸びた、あるいは記録された可能性も否定できません。実質的な長さや量の意味、全否定をする意味のどちらにも解釈できる例です。元は「1ミリ」の実質的な意味を持っていましたが、このようなどちらにも解釈できる例から、実質的な意味が失われ、副詞として使われていきます。
読売新聞、朝日新聞の例を調べてみると、「1ミリも~ない」に入るのは動詞です。最も多く見られたのは「動く」です。
体重をかけて再度ドアノブを回した。1ミリも動かず、きしむ音さえしなかった。(朝日新聞 2007年9月2日朝刊)
首相の意を受けた保岡興治本部長(当時)の「9条の政府解釈を1ミリも動かさないで自衛隊を明確に位置づける」との方針に異を唱えたのが石破茂・元防衛相だった。(朝日新聞 2018年3月27日朝刊)
ドアが動かないことを表した例は、ドアが1ミリ以下で動いたとは考えられず、1ミリの実質的意味は失われています。この例は物理的に動かせるものを対象としていますが、次の憲法の解釈は物理的なものではありません。「1ミリも動かさないで」とあるのは「変更しない、変えない」ことを意味すると考えられますね。物理的ではないものにも使えるように範囲が広がっています。次の例にある「譲る」もよく使われる動詞です。
大阪市議団の北野妙子幹事長は「都構想反対で1ミリも譲れない」との姿勢を崩さない。(読売新聞 2019年5月19日朝刊)
「1ミリも~ない」が多くみられるのは、立場や意志を強く表明する場面です。政治家は政策や方針、諸外国との交渉の中で国益や立場、状況などを強調するときに使用しています。上記の動詞のほか「進む」「変わる」「ぶれる」などもよく使われます。
「1ミリも~ない」を頻繁に使うのは、政治家ばかりではありません。スポーツ選手もよく使います。政治家は案や策など考えを述べ、スポーツ選手はパフォーマンスについての考えや思いなどを述べるときに使います。次の例はそれぞれフィギュアスケーターの宇野昌磨さん、プロゴルファー(当時)の宮里藍さんの発言です。
「つらかった。苦しかった。きつかった」と宇野は振り返った。今月初めにインフルエンザにかかり、「笑顔を出す余裕が、1ミリもなかった」という状態での試合。(読売新聞 2017年11月19日朝刊)
宮里は「(感傷的になる)そんな思いは1ミリもない。(略)」と言い切った。(読売新聞 2017年6月9日朝刊)
宮里さんについては、この年引退を表明してからの試合前の発言です。「1ミリもない」のは「余裕」「思い」「悔しさ」「不安」などの気持ちです。動詞を介在させずに使っています。「1ミリもない」と表現することによって強い気持ちを表しています。
国会の本会議・委員会の会議録である『国会会議録』(『国会会議録検索システム』により検索)にみられる初出例「1ミリも~ない」を確認してみましょう。
国道が一ミリも通っておらぬ、鉄道が一センチも通っておらない、(大谷武嘉 1969年7月23日)
「1ミリ」が長さの意味も持ちつつ、「まったく通っていない」という意味の全否定で使われています。ここで気になるのは、後半で「一センチも~ない」という表現がみられることです。どうやら「1ミリも」の前に「1センチも」の表現が存在していたようです。『国会会議録』の「1センチも」の初出例はさらにさかのぼります。
自動車の大きさを規制しております制限はただの一センチも運輸省としては変えていないのでございます。(梶本保邦 1960年4月15日)
「1センチも」「1ミリも」ともに「ない」を強調する表現として使われていましたが、1990年代以降は「1ミリも」が優勢になり、「1センチも」は廃れていきます。一方、近年は「1ミリも~ない」よりもさらに「ない」ことを強調しようとする表現が出現しています。
疑惑解明に向けた追加の説明とは言えず、「1ミリどころか0.1ミリも進んでいない。(略)」(蓮舫氏)などと野党の神経を逆なでした。(読売新聞 2018年3月9日 朝刊)
甘利氏は18日、記者団に「(1億5000万円の支出には)1ミリも関与していない。1ミクロンもかかわっていない。(略)」と語った。(読売新聞 2021年5月19日 朝刊)
「0.1ミリも」は参議院議員の蓮舫氏、「1ミクロンも」は衆議院議員の甘利明氏の発言です。これらの表現が定着するかどうかは予想できませんが、範囲を狭くすることによってより強く表現しようとしていることが伺えます。
1センチも ⇒ 1ミリも(⇒ 0.1ミリも/1ミクロンも)
長さの単位を使った全否定の表現には、このような変化が起こっていると考えられます。いずれも長さや量の実質的意味を失って、強調する表現です。
否定を強調する表現「1ミリも~ない」についてみてきました。話しことばを中心としているため、現段階ではあまり文献にはみられない表現です。この記事に挙げた新聞の例の多くは、誰かの発言を記事にしたものです。政治家やスポーツ選手の使用が多くみられるほか、テレビ番組では意外と頻繁にタレントさんが使っています。発言されている「1ミリも~ない」を是非観察してみてください。