人から「君はカナが多いね」と指摘されることがあります。「初日の出を拝めてよかったかなと思います」の「かな」のことです。使いすぎないようにするには、どうすればよいでしょうか。

「かな」は、終助詞の「か」と「な」がくっついたものであり、断定できないときに使います。「かなあ」のように伸ばすこともあります。「あれ、タヌキかな(あ)?」と言えば、視界に入った動物がタヌキかどうか断定できないことが表現されます。これに対し、初日の出が見られてよかったかどうかは、自分の気持ちを素直に述べればよいため、「よかった(な)と思います」で十分です。タヌキの例は、「断定できないときに使うカナ」であるのに対し、初日の出の例は、自信がないなど、何らかの理由で「断定したくないときに使うカナ」であると区別できます。
以下、「断定したくないときに使うカナ」について、筆者の集めた用例を使いながら、「かな」の使用を控えめにするための方法を解説します。

雨が降っているのを目にして、その場に一緒にいる相手に向かって「雨が降っているかな」と言う人はいません。ぼかす余地がないからです。「試験に落ちて、彼、落ち込んでいるかな?」というように、他者の気持ちは推測するよりほかないため、「かな」が必要です。他方、自分の気持ちは断定できます。断定できるのに断定しないと、逃げの表現だと聞き手に受け取られます。たとえば、「精進します」「精進したいと思います」「精進したいかなと思います」の三つでは、後者に行くほど、まどろっこしくなります。「精進します・精進いたします」とすれば、すっきりした表現となります。
「感じです」や「印象です」が「かな」とともに定型的に用いられ、たとえば「Bさんとは、わりに親しかったのかなという感じです」などと使われます。これは「わりに親しくしていました」のように言いかえることができます。相手は、親しかったと思っていないかもしれないという疑いやそんたくは、この際、捨てます。
レストランの店員が客に向かって料理のことに言及し「おいしいかなと思ってくれたらありがたいです」という場合、「か(な)」を削り、「おいしいと」または「おいしいなと」にします。
「悪かったかなと思います」「今後は、気をつけようかなと思います」といった言い方を耳にします。反省していないという印象につながる恐れもあるため、「か(な)」を削り、「悪かった(な)と思います」「気をつけようと思います」へと変更します。
人に何かをすすめる場合、「○○したほうがいいと思います」「○○するとわかりやすいと思います」という言い方をします。そこに「かな」が入ると、「いいかな」「わかりやすいかな」となります。たとえ意見を押しつける感じを和らげたいという動機があるにしても、すすめられる側からすると、「あなたのその提案は、全力でわたしのことを考えて絞り出した結果ではなく、単なる思いつき程度にすぎない。発言の責任を問われても困るから、「かな」で逃げている」というような印象を受けます。
あとで自身の発言について問われたとき、「ほうがいい」では、責任を問われるけれど、「ほうがいいかな」であれば、単に疑問を口にしただけですと言い逃れができる、という心理が働いている可能性があります。
「家族で元気にすごせたらいいかな」「(近隣トラブルが)円満に解決できたらうれしいかなあ」という場合、「いいかな→いいな」「うれしいかなあ→うれしいなあ」と言いかえます。
自分のことについて、「うれしいのかなと思います」というように、「かな」の前に「の」が入るケースもあります。これは、「のかな→な」とします。
たとえば「こうしたほうがいいんじゃないかなと思う」は、「こうしたほうがいいんじゃないかと思う」にすることができます。疑問の「か」がないと、「いいんじゃないと思う」となり、文法的に不適格になります。それを防ぐための「か」です。
「彼は無実なのかな(と思いました)」における「かな」は、「彼は無実なのかもな」、ことばを惜しまず言うなら「無実なのかもしれないな」と言いかえられます。
以下は、「かな」が形容動詞に続く場合の問題です。コメントを求められて、「残念かな」「重要かなと思います」と答えるケースがあります。「残念」「重要」という感情、判断にみずから疑問を差し挟む形になってしまうため、「残念だな」「重要だな」に言いかえます。
相手に何かをすすめる際に「○○したほうがいいかな」という表現を使うと、形式上は、疑問を表す「いいかな?」と区別ができなくなります。
これは、「○○したほうがいいんじゃない(か)」とすれば、意図が伝わりやすくなります。「んじゃない」は、推量する気持ちを表すのに必要な要素です。「んじゃ」の部分は、「のでは」に置き換えが可能です。
なお、「んじゃない」があれば、最後に「な」を添えて「んじゃないかな」としても、何かを人にすすめる意味で「かな」を使っていることは明白であり、伝わりやすい表現になります。
夏の終わりに鳴くヒグラシの「カナカナ」という声には、いつまでも耳を傾けていたくなります。きっと、人の口から出る「かな」「かな」も、一年中、四六時中ではなく、時折、会話に挟まれる程度が心地よいものなのでしょう。断定すると批判される、生意気だと思われる。それゆえ自分を守るためにぼかす。いつか、そんなことをしなくてもよい社会が訪れてくれることに期待します。