私は、反論があれば迷わず反対意見を述べます。しかし、そんな私のやり方を快く思わない人もいるようです。自分の意見は、はっきり伝えるべきだと思うのですが。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
問いでは、反論があれば迷わず述べるということですが、反対意見は、いつでもはっきり伝えた方がいいのでしょうか。日常のやり取りにおいては、相手の意見に反対していることを伝えない方がいいという場面もあるように思われます。また、言うとしても、反対意見には聞こえないような形で間接的に伝えることもあるようです。
例えば、上司からの指示に対して部下が異論を唱えるというのは、そもそも難しいものです。そして、それをあえてしなければならないときには、「そうすると、このような問題が発生するかもしれません」などと、懸念を示すだけにとどめ、間接的に伝えることが多いようです。
話題となっている事柄に関する知識を相手の方が明らかに多く持っている場合も、反対意見は言いにくいものです。そのような場合には、「それは○○ということなのでしょうか」というように、質問の形で聞くと、異なる意見だとは解釈されにくくなります。それに、相手に答えを聞いているわけですから、相手を立てることにもなります。
ほかにも、相手にとって目下の人がいるときや、大勢の人の前など、ほかの聞き手がいるような場合には、反対意見を今ここで述べるべきか考えてみて、述べないことにすることもあるのではないでしょうか。
このように、日常のやり取りにおいては、相手の意見に同意できないことがあっても、個々の状況に応じて、それを言うか言わないかの判断がなされます。そして、それを伝える際にも、反対意見ではないかのような間接的な言い方が好まれることが少なくないのです。
日常のやり取りの中では、既に述べたような間接的な言い方ではなく、反論であるとはっきり分かる形で意見を伝える場合もあります。しかし、そうした場合においても、一般に人は自分の考えを否定されることは好まないものなので、相手の気分を害さないよう、伝え方を工夫し、感情面の手当てを行うことが必要となります。
では、反対意見を明示的に伝えつつ、相手の気分をできるだけ害さないようにするには、どのような言い方があるのでしょうか。すぐさま反対を述べるのではなく、「○○ということですね、でも…」のように、相手の発話の一部を繰り返した後に異なる意見を述べるという方法があります。また、「その点はよく分かるのですが」など、相手の意見を一部認めてみせる場合もあります。これらは、相手の意見も尊重しているという態度を示すので、柔らかく聞こえるようです。
ほかにも、反論を述べるときには、沈黙が通常より多くなったり、自分の言ったことを言い直したり、「あの」「えっと」などの言いよどみが増えたりするなど、話し方が流暢でなくなる傾向があります。反論する人にしてみれば無意識にそうなっているのかもしれませんが、このような話し方によって、「本当はこんなこと言いたくはないのです」といった遠慮やためらいの気持ちが伝わります。
親しい間柄の人同士や、目下の人に対して異を唱えるときには、言葉では明確に反対であることを述べつつも、それを冗談めかして言うことがあります。これは、意見の対立を笑いで覆い隠し、深刻なものではないことを相手に示すものです。
しかし、改まった会議の場や、上司に対する場合などに、同じように冗談めかして反対意見を述べたとしたら、どうなるでしょうか。「ふざけている」「ばかにしている」などと受け取られてしまう危険性があります。つまり、ここで述べたような反論を和らげる種々の方策は、いつだれに対しても同じ効果を発揮するわけではないのです。重要なことは、相手との上下・親疎の関係や会話の場面などを考慮に入れ、互いの人間関係を良好に保てるように伝え方を工夫することだと言えるでしょう。
(ボイクマン総子)