日本語を学ぶ外国人が増えていると聞きます。日本語は難しい言葉ですから、外国人が学ぶのは大変なのではないでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
難しいかやさしいかは、何を基準に考えるかによって様々な判断がありえます。外国人の日本語学習者に「日本語は難しいか」と問えば、「難しい」と答える人が多いかもしれません。しかし「日本語だけが特別に難しいか」ときくと、「○○語に比べればやさしい」などという答えが返って来たりもします。
「日本語は難しい」というのは日本人自身の口からよく聞かれる言葉で、多くの場合、「日本語はほかの言語と違う特殊な言語だ」という意識と結びついているようです。近代以降、日本人が主に学んできたのは、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語など、日本語とは異なる特徴を持つヨーロッパの言語でした。また、現代の日本では一般に、「外国語=英語」という意識が強いと言えます。これらの言語と比べると、確かに日本語は特殊な言語であるように見えます。
しかし、世界の言語の中には、日本語とよく似ている言語もあります。例えば韓国語は、日本語と文法構造がよく似ていて、語彙も日本語と共通のものが多くあります。漢字も一定程度使われており、韓国語話者にとって日本語は学びやすい言語だと感じられ、大学だけではなく中学・高校段階で外国語科目を選択する際に、日本語を選択する生徒・学生が少なくありません。日本語は学びやすいという意識も、日本語学習を後押ししているようです。このように、日本語が難しいと感じるかどうかは、学習者の母語によって異なります。
では、日本語の文法、発音、文字・表記それぞれの面について、外国語と比べながら考えてみましょう。
一般的に、単純なものより複雑なもののほうが理解が難しいと言えますが、日本語の文法は、ほかの言語と比べて特に複雑というわけではありません。
「ハ」と「ガ」をはじめ、助詞の使い分けが難しいという日本語学習者は少なくありません。しかし、これは英語の冠詞の「a」と「the」の使い分けが、外国語として英語を学ぶ人には難しいのと似た問題です。
また日本語では、「車ガ」「車ニ」「車ヲ」のように、助詞を使い分けることで文中での言葉同士の関係を表しますが、「車」という名詞の部分は形を変えません。一方例えばロシア語では、文中での働き(格)によって名詞も形が変わります。その上名詞には男性・中性・女性という区別があり、変化の仕方が異なります。ロシア語には日本語のような助詞はありませんが、このような変化を覚えるのは大変そうです。
これはつまり、それぞれの言語で文法の仕組みが違うということで、日本語だけが、あるいはロシア語だけが特に複雑で難しいということではないのです。
次に発音について見てみます。日本語は5つの母音と17の子音を区別して使っています。一方、英語は7つの母音と24の子音を区別しますし、アラビア語は母音は3つですが子音は28、ベトナム語は母音が単母音だけで11、子音が29、ポーランド語は母音が8で子音が36ということです。これらの言語と比べると、日本語は区別する音の数が少ないと言えます。日本人の多くは、英語を学ぶときに [r] と [l] の区別で苦労しますが、これと同じで、それまで区別していなかった音を聞き分けたり、発音し分けたりできるようになるのは、なかなか大変なことです。反対に、細かく区別することができる人にとって、その区別を無視するのはそれほど難しいことではありません。ですから一般的に言って、区別する音の数が少ない日本語は、発音の面で特に学習が難しい言葉ということはないと言えます。
日本語が難しいと言えるのは、文字・表記に関してです。日本語は漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字という四つの種類の文字を使います。このように何種類もの文字を混用するのは日本語の大きな特徴です。
また、漢字は中国語や韓国語でも使いますが、読み方は基本的に一字に一つです。日本語のように一つの漢字に音読みと訓読みがあったり、「五月雨」「山車」などのように、組み合わせによって特殊な読み方をしたりすることはありません。例えば「日」という漢字は、文字としては一つですが、「日本」「日曜」「本日」「日の出」「誕生日」「生年月日」「今日」「昨日」などのそれぞれで「日」の読み方が違うということを考えると、覚えるべきことは大変な量になります。非漢字圏出身の学習者はもとより、漢字圏の学習者にとっても、日本語として漢字が使えるようになるのは決して簡単ではありません。
日本に住む外国人が増えています。特に文字による情報伝達については、日本語が母語でない人々への配慮を考えていく必要があるでしょう。