ことばの疑問

「地球の裏側からのお客様」は、なぜ配慮を欠いた表現なのでしょうか

2019.09.27 山崎誠

質問

南米から来た人を「地球の裏側からのお客様です。」と紹介したら、「地球の裏側」は、配慮を欠いた表現なのではないかと指摘されましたが、なぜでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。

地球と南米の鳥オニオオハシ

回答

「裏」の持つイメージ

「裏」という語には、「裏取引」「裏番組」「裏ルート」などの例でも分かるように、「隠れた」「目立たない」「正式でない」などマイナスのイメージを伴う場合があります。しかし、そのことだけが直接の理由で配慮を欠いた表現になると考えるのは早計です。なぜなら、「裏側」という語自体は、「月の裏側の写真」「ひざの裏側が痛む」などのように、物理的な位置関係を表している場合には、マイナスの印象は感じられないからです。したがって、語の持つイメージよりもむしろ、どういう文脈で「裏側」を使っているかということに着目すべきでしょう。

「地球の裏側」の文脈における意味

「地球の裏側」は、「月の裏側」と同じく物理的な位置関係を表していると考えれば、中立的な表現として何ら問題はないはずです。しかし、文脈における意味を理解するためには、次のような違いにも注意する必要があります。

(1)月はいつも地球に対して同じ面を向けているので、地球から見た場合、表側と裏側が固定されている。それに対して、地球はどこが表側でどこが裏側ということが固定していない。

月と地球の関係

(2)月には人間が住んでいないが、地球には人間が住んでおり、民族や国家が形成されているため、地域とそこに住む人間とが結びついてとらえられがちである。

これらを踏まえると、問題の文脈における「地球の裏側」は、自分たちのいる場所すなわち日本が「表側」であり、南米が「裏側」であるという関係になっていることが分かります。逆に、南米から見れば、南米が「表側」で、日本が「裏側」になりますから、両者の関係は全く相対的なのです。にもかかわらず、日本を中心に据えた一方的な表現をしたために、価値判断につながるような差を感じさせてしまっているところに問題があり、「配慮を欠いた」という指摘につながるのです。

相対的な関係を固定化してとらえない

布地や紙幣などのように、物理的に表と裏が決まっているものについて「裏」と言った場合は、価値判断を伴わない中立的な表現になります。しかし、表と裏の関係が相対的にしか決まらない物事について「裏」(あるいはそれと対になる「表」も含む)を使って表現した場合、「裏」の持つマイナスのイメージと共に解釈され、両者の間に優劣の差があるかのような印象が生じる恐れがあります。特に、人や地域などに関しては、その違いを導入することが妥当であるかどうか十分な吟味が必要です。一例ですが、新聞等で、「表日本」「裏日本」をそれぞれ「太平洋側」「日本海側」と言い換えるようになったことも参考になるでしょう(『新聞に見る日本語の大疑問』 )。問題の例のような場合は、「地球の反対側」とすると、中立的な表現になります。

相手の立場に立って考える

「地球の裏側」のような事例を考える際に重要な点は、ものを見たり考えたりするときの基準をどこに置いているかを確かめることです。だれしも自分を基準にして物事を考え、表現しがちですが、文脈によってはそれが適切でない場合があります。相手の立場から見たら、この表現はどう感じられるか、という配慮が必要です。相手の立場に立つためには、相手がどのような状況にあるのか、どのような考えを持っているかなど想像力を働かせなければなりません。円滑なコミュニケーションは相手への配慮の上に成り立つと言えましょう。

(山崎誠)

書いた人

山崎 誠

山崎誠

YAMAZAKI Makoto
やまざき まこと●国立国語研究所 言語変化研究領域 教授。コーパス開発センター(併任)。
日本語の語彙を中心に計量的研究を行っています。語彙の計量的(統計的)な性質はコーパスの普及にともない、研究が進んでいますが、まだ未解明の点も多く、理論的な整備は今後の課題と言えます。また、シソーラスの構築など語彙に関する言語資源の開発も行っています。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 毎日新聞校閲部 編 (1999) 『新聞に見る日本語の大疑問』 東京書籍