最近、午後でも「おはよう」というあいさつを耳にすることがあります。「おはよう」は朝のあいさつの言葉だと思うのですが。
※ この記事は著者が国語研所属時に執筆したものです。初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
確かに、大学のキャンパスや職場で、午後にその日初めて会った相手に、「おはよう(ございます)」とあいさつする人は少なくありません。1998年頃に関西・九州の女子大学生約300名を対象とした調査では、約8割の人が、友人同士でこのような言い方をすると回答していました(参考文献①)。アルバイト先の習慣で言い始め、大学の友達にも使うようになった、という声も聞かれます。「おはよう」は、基本的には、朝、人に会ったときのあいさつの言葉です。それが午後にも使われるようになったのはなぜでしょうか。
午後に人に会ったときのあいさつというと、すぐに思い浮かぶのは「こんにちは」です。では、午後に友人と会ったときには、「こんにちは」とあいさつするのが一般的でしょうか。人によって、また、どのような友人かによって違うでしょうが、特に、とても親しい友人や、職場で毎日顔を合わせる同僚等に対しては、「こんにちは」とは言いにくい、言わないという人が多いのではないでしょうか。
このように、「こんにちは」には、近い関係の相手、言わばウチの相手には使いにくいという性質があります。朝の「おはよう」にはそのような制限がありません。ウチの相手にも使えるし、「おはようございます」とすれば、親しくない相手や目上の相手にも使えます。
午後、親しい友達や同僚に一言あいさつしようとしても、ぴったりの言い方がない。「やあ」「どうも」など別の言い方もできるけれど、今一つしっくりこない…。「おはよう」が午後にも使われるようになった背景には、このような「表現の空白」があったと推測されます。そこで、時間帯はずれるけれど、その日初めて会ったウチの相手同士で使える「おはよう」が、仲間内のコミュニケーションのための言葉として取り入れられたのでしょう。
朝、その日初めて会った相手に「おはよう(ございます)」と言うのは典型的なあいさつですが、このように、「こういう場面では大体このようなことを言う」ということがある程度決まっている(定型性がある)のが、あいさつの大きな特徴です。そして一つの社会の中では、それが期待や規範として、基本的には共有されていると考えられます。
しかし時には、人が自分の期待と違った振る舞いをすることもあります。問いの「おはよう」の例のほか、例えば次のような場合です。
(1) 子どもの結婚が決まった家の人にお祝いを言うとき、「お相手はどちらの方ですか」「どなたの御紹介ですか」など、結婚相手についていろいろと質問をする。
(1)については、プライベートなことに立ち入りすぎると感じる人もあるでしょう。しかし、関西の伝統的な地域社会ではこのようなやり取りがよく聞かれるようです(参考文献②)。相手のことに関心を持って積極的に話題にすることが相手へのもてなしになる、という考え方が背後にあるのかもしれません。
(2)については、「若い人は礼儀をわきまえない」という否定的な評価につながりそうです。しかし実は、買い物で細かいお金がないときに、「一万円札でいいですか。」などの断りの言葉を言うのは、年輩の人より若い人に多いのです(参考文献③)。どういうときに相手に言葉をかけるかのポイントが、年輩の人と若い人とでは違うのかもしれません。
人が期待したようなあいさつをしないと、違和感を持ったり、場合によっては不愉快に感じたりすることもあるかもしれません。しかしそのような経験を、言葉の背景にある価値観や配慮のありようについて考えるきっかけとして、とらえることもできるでしょう。
(三井はるみ)