日本語の「いいです(けっこうです)」は承諾なのか断りなのかあいまいだと聞いたのですが、本当にあいまいなのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
「日本語のあいまいさ」ということはしばしば言われることですが、その場合、少なくとも二つのタイプに分けて考えるのがよいように思います。
一つは、「~と思われる」や「~と思わないこともない」のような、はっきりと言い切らない表現を多く用いることです。断定的に言い切る言い方は聞き手に対してきつい印象を与えるということで、断定的ではない言い方を用いて表現をやわらげるわけです。
もう一つは、省略などの理由で、一つの表現が二つ以上の意味にとれる場合です。質問の「いいです」「けっこうです」(以下「いいです」で代表させます)もこのタイプです。承諾の「いいです」は「~してもいいです」の「~しても」が省略されたもの、また、遠慮の気持ちを含んだ断り(以下「断り」)を表す「いいです」は‘不必要’を表す「~しなくてもいいです」の「~しなくても」が省略されたものです。「~しても」「~しなくても」の部分が省略されたために、同じ「いいです」という形になるわけです。
[承諾・許可]
「ちょっと中を見学したいのですが。」
「いいですよ。」(=見学してもいいです。)
[断り(遠慮の気持ちを含む断り)]
「荷物をお持ちしましょう。」
「いいですよ。」(=持ってもらわなくてもいいです。)
「いいです」が「承諾」と「断り」というまったく異なる意味を表すというのは、いかにも不都合な感じがします。日本語を勉強している人からは、レストランでウェイトレスに「コーヒーはいかがですか?」と聞かれて、「お願いします」と言うつもりで「いいです」と言ってしまったために、結局コーヒーがもらえなかった、といった経験談を聞くこともあります。
しかし、「いいです」が発話される場合は、通常、うなずいたり首を横に振ったり、あるいは「ええ、いいですよ」、「いや、そんな、いいですよ」のような別の表現が加わったりしますから、「いいです」が承諾・許可を表すか断りを表すかの区別は、それほど難しいわけではありません。
また、承諾の「いいです」と断りの「いいです」はイントネーションも違います。それは文末に「よ」を付けた場合によりはっきりします。承諾の「いいですよ」は、
のように文末の「よ」で上昇しますが、断りの「いいですよ」は、
のように文末が低く抑えられます。
場面や文脈の性質も違います。「いいです」が承諾になるのは、相手が承諾を求めている場面です。一方、「いいです」が断りになるのは、相手が自分のために何かしてくれようとしている場面です。相手にとって都合のよいことがらについて「いいです」と言うと承諾になり、相手にとって負担になることがらについて「いいです」と言うと断りになるわけです。
発話の意味は、表現自体の意味だけではなく、イントネーションや場面など種々の要因が組み合わさって決まるものです。日本語の「あいまいさ」についても、そのことをふまえた上で考える必要がありそうです。
一方、次のようなこともあります。レストランでコーヒー付きのランチを食べているときに、ウェイトレスが頃合いを見計らって「コーヒーをお持ちしてよろしいでしょうか?」と聞いてきたとします。この場合、ウェイトレスは「お持ちしてよろしいでしょうか?」と許可を求めているわけですから、「いいです」と言ってコーヒーを持ってきてもらうこともできそうなものです。しかし、実際は「お願いします」と言う方が多いと思います。客と店員の関係であっても、相手に負担をかけるという意識が働いて、「いいです」ではなく「お願いします」になるのでしょう。