人に物を贈るときには「つまらない物ですが」と言うものだと聞きました。私には抵抗があるのですが、どう考えればよいのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
ある場合にはある決まった言い方をすることが、社会的な慣習として定着しているとき、その言い方のことを一般に「決まり文句」と言います。
人への配慮を表す決まり文句として、まず思い浮かぶのは、「おはよう」「こんにちは」「いってきます」などのあいさつの言葉です。それぞれ、ある程度の意味内容を持った言葉が使われていますが、文字どおりの意味を伝えることがねらいではなく、定型化した決まり文句として使われています。あいさつには、和やかな人間関係を築き、それを維持したり、強化したりする働きがあります。「決まり文句」とか「定型」と言うと、ともすれば心のこもらぬ、陳腐な言葉を連想しますが、定型性がふさわしい場面もあるのです。
しかし逆に、家族に不幸のあった知人へのあいさつなどは、比較的長い表現になりがちです。相手の不幸を悼んだり、相手を慰めたり、励ましたりする気持ちを実質的に表現するには、定型の決まり文句でない、個々の事情に配慮した言葉がふさわしいと言えます。
さて、贈り物をするときや自宅に招いた客に食事を勧めるときに、「つまらない物ですが(どうぞお納めください)」「何もありませんが(召し上がってください)」などの言い方をすることがあります。( )の部分を言わずに、「~ですが…」とぼかすような言い方になることもあります。これらは、自分側の物を控えめに言い、相手に対する敬意を表す表現です。決まり文句の一つではありますが、前に挙げたあいさつの言葉ほどは文字どおりの意味が薄れておらず、人によって受け取り方に違いがあるようです。
国立国語研究所が1997年に行った調査によれば、(1)客に食事を勧めるときに「何もありませんが…」と言うこと、(2)それに対して「いえ、おかまいなく」と遠慮すること、についての感じ方は、以下のとおりでした(回答者は東京都在住の日本人男女約千名)。
「何もありませんが…」と勧めて「いえ、おかまいなく」と受けるパターンは、多くの人に、慣習として定型化した決まり文句と受け取られていることがわかります。このパターンを用いることは、相手に対する気配りを示し合う、人間関係の潤滑油のような役割を果たしていると考えられます。
ただし、決まり文句と受け取らない人もおり、感じ方にも個人差があることに注意が必要です。慎みがあり謙虚だ、と「良い感じ」を持つ人がいる一方、心の中はそう思っていないのにへりくだった言い方をするのはそらぞらしい、誠実さがない、へりくだりすぎだ、などと批判や抵抗を感じ、「良い感じがしない」という人もいます。また、年代差もありそうで、「良い感じがする」という回答は高年層に多く、「良い感じがしない」という回答は若年層に多くなっています。
以上のことは「つまらない物ですが」という言い方にも当てはまるように思われます。
文化庁の「平成9年度国語に関する世論調査」で行われた、「人に贈物をするときには、「つまらないものですが」などと謙遜する」か、という質問への回答結果は以下のとおりでした。
贈り物をするときに決まり文句を使うかどうか、使わないとしたらどのような言い方をするかは、相手との間の立場や年齢の上下関係、親疎関係などや、なぜ贈るのか、何を贈るのかなどの事情、その場の改まりの程度などにもよると思われます。
例えば、相手が仕事上の上司や教えを受ける先生の場合、「つまらない物ですが」とへりくだって、敬意を表しても、贈る側・受け取る側ともにあまり違和感を持たないかもしれません。しかし、親しい友人に対してこう言ったのでは、心理的に隔て遠ざける感じを与えてしまいます。「これ、とてもおいしいよ」や「きっと似合うと思って」などとアピールしながら積極的に言うほうが、親しみや気遣いを表すことができるでしょう。手作りの物を贈るのであれば、へりくだりの表現であっても「お恥ずかしいのですが」「うまくできなかったんですけど」など、状況に合わせた言い方を工夫するとよいでしょう。
相手への配慮をどんな言葉遣いで表現するのが適切か、を考える際には、同じ言い方でも感じ方は人によって違うということが前提になります。その上で、相手がどんな表現を肯定的、または、否定的に感じるのか察する努力をするとともに、自分の気持ちをどんな形で表現したいのかをよく考えて、決まり文句を使うかどうかを含め、言葉遣いを選択することが必要です。