「見れる・見られる」「来れる・来られる」のように複数の言い方があるのはなぜですか

「見れる・見られる」「来れる・来られる」など、どちらも「〜できる」という可能の意味を表すのに、複数の言い方があるのはなぜでしょうか。それは、日本語の可能表現(可能形)における言語変化が現在進行しているからです。
まず現代日本語の文法を整理しましょう。この現象は、動詞の中でも「見る」「食べる」などの一段活用の動詞と、カ行変格活用の動詞「来る」で起こっています。ここで、国語の授業を思い出して下さい。これらの動詞を可能の意味を表す「可能形」にするには、動詞の後に助動詞「られる」を付けて作るのでしたね。ですから、文法に従えば、本来は「見られる」「来られる」となるはずです。ところが、「見れる」「来れる」という言い方も同時に存在します。このような、「見れる」「来れる」に代表される表現は、「ら抜き言葉」と呼ばれ、大正期の文学作品にはすでに例があり、その後現在まで使われ続けています(塩田雄大、滝島雅子「「日本語は乱れている:9割」時代の実相」『放送研究と調査』pp.22-43)。この「ら抜き言葉」は本来の文法からすると適切な表現ではないことから、「言葉の乱れ」と非難されることがありました。それにも関わらず日常会話では、この「ら抜き言葉」を耳にすることも日常的になりましたし、最近では一部の書き言葉にも見られるほど一般的になりました。ですから、これらの表現を違和感なく使うという人も多いのではないでしょうか。
このように、同じことを表すのに複数の表現が存在していることを「言葉のゆれ」と言います。つまり、「見れる・見られる」「来れる・来られる」のように、一段活用とカ行変格活用の動詞の可能形は、言葉のゆれの状態にあるのです。
次に、言語変化について説明します。言葉は、人がコミュニケーション手段として使っている以上、変化するものであり、それは歴史が証明しています。例えば、私たちが勉強した古典と現代日本語は同じ日本語ですが、特徴がかなり違っています。これは、時間とともに言語の特徴が変化し、その変化が積み重なったものと言えます。また、現在進行中の変化はいくつもあると言われており、助動詞に限っても、他に「さ入れ言葉」(例、作らさせていただきます)、「れ足す言葉」(例、行けれる)があります。言語変化とは、端的に言って、それまで使われていた表現(伝統形とします)が新たな表現(革新形とします)へと置き換わることです。ただし、この伝統形から革新形への置き換わりは、一朝一夕にはいかず、比較的長い年月をかけて、ゆっくり進行します。その過程で、伝統形と革新形が共存する状態、つまり言葉のゆれが生じるのです。

ら抜き言葉の変化で言えば、「見られる」「来られる」などの伝統形から「見れる」「来れる」などの革新形へと置き換わる中で、両者が共存する過程が含まれるということです。
ではなぜら抜き言葉の変化が起こったのでしょうか。これにはいくつかの説がありますが、その中で2つ紹介します。1つは、「意味の明確化」です。助動詞「られる」は「可能」の他に「受身」「尊敬」「自発」の意味を担うことができますが、そのうち「可能」だけをら抜き言葉にすることで、他の意味と明確に区別することができるというものです。もう一つは、「活用体系の整理」です。実は、現代日本語の可能形では、ら抜き言葉の変化の前に、五段活用の動詞で変化が起こっていました。現在の文法では、「行く」「飲む」であれば、その可能形は「行ける」「飲める」ですが、以前は「行かれる」「飲まれる」でした。この五段活用の動詞で起こった省略に合わせるように、一段活用・カ行変格活用の動詞でも省略が起こり、ら抜き言葉が生じたというものです。
さて、言語変化の進行には時間との相関、具体的には革新形は若年層で多く見られ、伝統形は高年層で多く見られるという傾向が見られます。ら抜き言葉の変化は現在進行中なので、言葉のゆれに時間との相関が見られるはずです。ここでは、話者の年齢差を時間の流れと捉え、可能形におけるら抜き言葉の使用率(ら抜き率)の違いを、実際のデータで見てみましょう。

(名大会話コーパス : https://mmsrv.ninjal.ac.jp/nucc/)
図を見ると、ら抜き率は年齢が上がるにつれて下がっています。つまり、若年層ほど伝統形の「見られる」「来られる」ではなく、革新形の「見れる」「来れる」といったら抜き言葉をよく使うという傾向を示しているのです。ですから、 文法的には「見られる」「来られる」を使うのが正しいけれども、そうではなく「見れる」「来れる」を使うという傾向が徐々に強まってきている変化があると言えます。将来的には、更に高いら抜き率を示す新たな若年層が現れ、伝統形が減ってゆき、ら抜き言葉へと置き換わる可能性もあります。
ただし、言語変化には様々な要因が影響しており、一様には進みません。例えば、動詞の種類によってら抜きになりやすいものとなりにくいものがあります。また、スピーチなどのあらたまった場面や書き言葉では、圧倒的に伝統形が多く、ら抜き言葉は、友達同士の会話などのくだけた場面でよく使われます。このように、全ての可能形がら抜き言葉になるとは言い切れません。ですから、言葉のゆれにある現段階では、文法的に正しいとされる伝統形を基本として、時と場合によって両者を使い分けるということを頭に入れておくことが重要でしょう。